2月17日 月曜日 月曜ア・ラ・カルト
こんばんは。
先週、有名人に関するニュースとして、野村克也さんの死去、槇原敬之(本名 範之)容疑者逮捕がありました。これらを見ながら感じた「名」が、今夜のテーマです。
「名は体を表す」「名を上げる」「人は一代、名は末代」「名を馳せる」「名を汚す」等々、日本には古くからの「名」にまつわる言葉が残されています。姓名のうち、生まれた時点で「姓」は決まっていますが、「名」は決まっていません。「名」は、親が子どもに与える最初の贈り物です。そこには、こんな子に育って欲しい、将来こう生きて欲しい、自分たちの心を継いで欲しい・・・様々な想いや願いを込めて、まだ真っ新な赤ん坊に「名」を与えるのです。その「名」の評価は、その赤ん坊の歩む人生によって決まっていくわけですが、「名を馳せる」「名を上げる」とまでは言わずとも、少なくとも、親が与えてくれた「名を汚す」ようなことはせず、まっとうな人生を歩むよう、真面目に生きることの大切さを幼い頃に教わったと思います。
しかし、残念なことに、目先の利益や自身の快楽のために、「名を捨てて実を取る」人が少なくないことも事実です。自分の「名」に容疑者や被告という言葉が付いたり、「悪名高い」と言われるなど不名誉極まりなく、絶対に避けなければいけないことですし、「名を汚す」ような行為は慎むべきです。
一方で、良いことで「名が知れ渡る」ことは誇らしく、自身のみならず、その人間に関わった人を幸せにし、育てに携わった人の価値までも上げることになります。「名実ともに」が理想ながら、なかなかそう上手くはいかないものです。しかし、結果的にそうなった方々を見るとき、「名を捨てて実を取る」のではなく、「得を取るより名を取れ」と言われるとおり、目先の利益や自身の快楽を優先せず、功徳を重ねた結果として「名を上げ」、結果として実利も伴った方が多いです。
昔から「名は実の賓」と言います。名誉や名声は徳に伴うべきものである、という意味ですが、その意識を常に持って日々勤しむことが大切だと、改めて感じるのです。親が一番最初に与えてくれた贈り物、一生の宝物ですから、その「名」を大切にしながら生きて行きたい、そう感じさせられた一週間でした。