11月17日 火曜日 乗り物181
こんばんは。
先週の巷の「気になるニュース」の一つについて、書かずにはいられません。
トヨタの高級乗用車「クラウン」が、現行モデルをもって廃止されるという噂です。「検討」の二文字が加えられていますが、ほぼ事実でしょう。現行型は11月2日にマイナーチェンジを実施したばかりですが、多くの場合、このタイミングで次期モデルのデザインなど具体的な検討が始まります。しかしこの時期に、しかもお膝元である愛知県の中日新聞までが”廃止検討”と打つのは、次期型着手が進んでいないのだと思います。
このコロナ禍においても、トヨタは他の国産メーカーと異なり、一桁違う利益を上げ、黒字を確保しています。それは同社の努力の結果であることは言うまでも無いのですが、東京を皮切りに始まったチャンネル整理や、車種整理の効果もあるでしょう。
合理化策の中で、売れるジャンルにどんどん新型車を投入し、売れないジャンルは統廃合を進める。極めて真っ当な判断ではあるのですが、こと「クラウン」については、「センチュリー」同様に、トヨタにとって聖域であると思うのです。
たしかに高級セダンの市場は販売が先細っているのは事実です。
もともとトヨタには高級ブランド「レクサス」がありますから、「センチュリー」を除く高級セダンは「レクサス」に集約したいのかもしれません。もっと極端な表現をすれば、トヨタにとって「クラウン」はお荷物で、無駄な存在になったのかもしれません。
トヨタの象徴でもある「クラウン」さえも整理対象とすることで、改革への本気度を内外に示す意味合いも持つのかもしれません。でもわたしは反対です。
そもそも「レクサス」と「クラウン」は別物です。「レクサス」は逆輸入の外国車、「クラウン」は純国産車であり、目指すところも異なるはずです。目指す先が違うならば、その先に待つユーザーの層や好みも異なるのです。
約70年という、国産車史においても極めて稀有な歴史の中で培った、法人ユーザーや純国産高級車像は、「クラウン」でこそ満たされるものです。
「クラウン」が売れないのは、ユーザーが減ったからですが、なぜ減ったかについて、トヨタは巷の声を認識しているのか疑問です。もちろん、そうした声がすべてではありませんが、このニュースに付された多くのコメントに、わたしも同感です。
ここ数世代のクラウンは、自身の良さを見失っています。
・ドイツの有名サーキットに持ち込んで、足腰を鍛え、走りを磨き上げたと謳う
・奇抜な色(ピンク、黄色、黄緑等)のボディカラーを販売する
・イナヅマグリル、王冠グリルを採用する
・サイドウィンドウを6ライトにする
・伝統のグレード「ロイヤルサルーン」を廃止する
「クラウン」を欲するユーザーが、ココに挙げた例を望んでいるのでしょうか。望まないと思います。もちろん、それにより新たな層は獲得できたかもしれませんが。
”オヤジグルマ””80点主義”などと揶揄された頃もありますが、「クラウン」とはそういうクルマです。風格のあるクルマに乗りたい、走りは少しルーズなところもあれど滑らかで必要にして十分、内装は非常に上質に設えてあり、シートも硬すぎず、国内の道路事情に適したサイズを維持している、そんな50代以上のオヤジが”コレで良い、コレが良い”と思えるクルマこそ「クラウン」です。それでいて、所有すれば誰もが”高級車だ”と分かる名前であり、目立ち過ぎない中にも凛とした佇まいがあるのです。
「レクサス」には、残念ながらこの条件を満たすクルマは一台もありません。
他社を見渡しても、日産の「フーガ」も実質逆輸入車ですから、ありません。
本来、独壇場となるはずの「クラウン」のマーケットを、数世代の「クラウン」自身が放棄したのです。”無理な若作りをしているオヤジを見ているようで痛々しい”というコメントを見ましたが、まさにわたしも、この数世代そのとおりの印象を抱いています。
雑誌などで自動車評論家が「走りが楽しい」「ドイツ車と互角以上の走り」などと讃えていましたが、こういう意見に踊らされたのだとすれば、残念極まりないですね。
豊田章男社長は以前、「若者がクルマ離れしたのではなく、自動車メーカーがクルマ離れしたのではないか」と語っていました。そのとおりだと思います。「クラウン」についても同じです。「ユーザーがクラウン離れしたのではなく、トヨタがクラウン離れした」のだと。「クラウン」ユーザーが求めるものを提供して欲しいです。
一部報道では、2022年に「クラウン」の名を冠したSUVとして生まれ変わるという情報がありました。もし事実ならば、「クラウン」の名を外して欲しいです。高級セダン以外に「クラウン」は要りません。わたしの理想を言えば、本来の「クラウン」に立ち戻り、セダンとして登場することですが、果たしてどうなるのやら。