【特集】阿波徳島の古代史を想像する 其の二 「神生み」に見る混乱

10月29日 木曜日 【特集】

 

こんばんは。

実はこの企画自体、9月末から書き始めているのですが、どうにも整理がつかず、「其の一」は7度くらい全編書き直しをしました。企画の【告知】の際にも書きましたが、素人が手を出してはいけない領域だと痛感しながら、「其の二」を書き始めております。したがいまして、体系的に纏まっておらず、読みづらい部分も多々あると思いますが、何卒お許しください。

話が壮大であればあるほどに、整理がつかないのは古事記も同じだったのかもしれません。「国生み」に始まった神話は「神生み」へと展開しますが、この「国生み」「神生み」の間で混乱が見て取れる部分があります。しかもその混乱の舞台は、またしても「徳島県」です。本日は「神生み」を中心に見て行きます。

 

3 「三貴士」誕生に見る非現実性

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伊邪那岐命」「伊邪那美命」が「国生み」を行ったことは昨日書きました。上は、その系図を纏めたものコトバンク様より図を拝借し加工)ですが、黒枠で囲んだ部分に記された十四島(不具の子とされた「淡嶋」「水蛭子」を除く)に続き、実に多くの神々を誕生させました。土地に続いて神を生む、既にこの時点で非現実的なのですが、そこは神話において「伊邪那岐命」「伊邪那美命」がいかに超越した存在であるかを示すものと理解し、あえて踏み込むことは避けておきます。

上図では「省略」しましたが、生み出す神々の数たるや相当数に上ります。ココでは、最後の「三貴士」を扱います。この「三貴士」、そこまでに描かれる神々と決定的に異なる点があります。それは、男神である「伊邪那岐命」のみから誕生した神であること。この点もまた、非現実的ですね。本来、母となるべき女神「伊邪那美命」は、「三貴士」誕生の前、火之迦具土神軻遇突智)を生んだ際に、陰部火傷し亡くなりました。

では、「三貴士」がいかにして男神伊邪那岐命」から生まれ出たのか、「古事記」はこう描いています。

 

❖ 亡くなった「伊邪那美命」への想いを日増しに強めた「伊邪那岐命」は、黄泉の国へと向かいます。既に黄泉の国に落ち着いていた「伊邪那美命」ですが、自分を追ってきた「伊邪那岐命」に惹かれ、地上に戻りたいと黄泉津神らに直談判することとなりました。その様子を決して覗くこと無きよう「伊邪那岐命」に申し渡したのですが、待ちきれぬ「伊邪那岐命」は、その約束を破ります。その視界の先には、腐敗してにたかられ、八雷神ヤクサノイカヅチガミに囲まれた「伊邪那美命」の変わり果てた無残な姿でした。

恐れをなした「伊邪那岐命」は、追ってくる八雷神らをかわしますが、最後は怒った「伊邪那美命」までもが追って来ます。命からがらこれをかわし千引の岩と呼ばれる大岩で地上への出口を塞ぐことに成功します。

黄泉の国での穢れを落とすべく、「伊邪那岐命」は「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原(檍原)」を行い、身を清めました。ココで左眼から天照大御神、右眼から月読命、鼻から建速須佐之男命誕生(この三神を「三貴士」と称します)、自身は淡道之穂之狭別島の多賀に幽宮(コレが昨日触れた「伊弉諾神宮」)を構えたのでした。

 

つまりは、黄泉の国の禊により、男神である「伊邪那岐命」のみから「三貴士」が誕生したというのです。こういう部分が、いかにも神話らしく、非現実的な話でもあります。

 

4 建速須佐之男命」に見る神と人間

昨日来、ココまで書いたとおり、「伊邪那岐命」「伊邪那美命」は超越した存在ながら、こと男女の関係においては、愛憎入り乱れる人間味を孕む存在でもあると思います。では「三貴士」はどう描かれたのでしょう。

天照大御神アマテラスオオミカミ

性別不明も、一般に女神解釈されています。太陽神であり、祭祀を行う古代の巫女を反映した神とも言われています。「伊邪那岐命」から高天原(タカアマノハラ)」を治めるように命じられました

月読命ツクヨミノミコト)

性別不明も、一般的には男神と解釈されています。「天照大御神」とは対照的に、を神格化した、を統べる神であると考えられていますが、詳細があまり描かれない謎めいた神です。

建速須佐之男命(タケハヤスサノオノミコト

男神です。「伊邪那岐命」からは海原を統治するよう命じられましたが、コレを断ったために地上追放を命じられました。現代における知名度は非常に高いと思いますが、多面性を有し、理解の難しい神です。

 

まずは「建速須佐之男命」で描かれた主なエピソードをご紹介します。

・海原統治の命を断った理由は、(母であるはずの)「伊邪那美命」がいる黄泉の国を目指したからでした。

・地上追放になると、「天照大御神」に別れの挨拶をしようと、高天原へと出向きます。

・警戒した「天照大御神」との間で一悶着を起こすと、粗暴な振る舞いにより、高天原を追放されます。

・その先で出雲に降り立つと、荒ぶるヤマタノオロチを退治し、襲われかけた櫛名田比売命を救いました。

・そこで「夜久毛多都 伊豆毛夜幣賀岐 都麻碁微爾 夜幣賀岐都久流 曾能夜幣賀岐袁」と詠みます。

 これが日本最古の和歌であるとも言われています。

・退治したヤマタノオロチの尾からは「草那藝之大刀」が現れ、コレを「天照大御神」に献上しました。

 この「草那藝之大刀」は、現在も三種の神器の一つとされています。

櫛名田比売命との間に八島士奴美神をもうけ、その子孫に大国主神がいます

このように、知的和歌を詠んだかと思えば意のままに暴力をふるい、見ぬ母に会いたいと叶わぬ我儘を言ったかと思えば勇敢に少女を守る男らしさを見せる、少なくとも、「伊邪那岐命」「伊邪那美命」に見た超越した存在としては描かれず、とても人間味あふれる存在だと感じます。

そして実は、この「建速須佐之男命」には、もう一つエピソードが残されています。舞台は「徳島県」です。そこで描かれているエピソードは、次のとおりです。

高天原を追放された「建速須佐之男命」は、空腹を覚え、「大宜都比売(オオゲツヒメ)」を訪ねます。

 警戒心を露にした「天照大御神」とは異なり、「大宜都比売」は大いに食物を与えました。

 コレを不審に思った「建速須佐之男命」は、「大宜都比売」の調理場の様子をこっそり覗きます。

 すると、鼻や口、さらには尻から食材を出しては調理する姿が見えました。

 あまりに不潔だと憤った「建速須佐之男命」は怒り、「大宜都比売」を殺めてしまいました。

概略はこのとおりですが、「大宜都比売」という名前に記憶にありますか?

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昨日、「国生み」の順をご説明した際に用いた図です。赤枠の部分に「オホゲツヒメ」の文字が見えますね。この「オホゲツヒメ」、「国生み」で生まれた「伊豫之二名島」の4つの顔の1つであり「徳島県」の名として用いられています。一方、「神生み」では「五穀や養蚕の起源」であり「食物の女神」でもあります。果たして同一人物かは不明ながら、「国生み」で生まれた島の一部の名と、「神生み」で生まれた神の名がほぼ同一というあたり、壮大な話ゆえの混乱が如実に見て取れる部分かと思います。

ちなみに、となった「大宜都比売」からは、頭から蚕、目から稲、耳から粟、鼻から小豆、陰部から麦、尻から大豆が生まれ、やがて五穀や養蚕の起源となったのでした。

 

5 「建速須佐之男命」の足跡による「徳島県」の意味

それにしても、なぜ「建速須佐之男命」のエピソードに「大宜都比売」が登場するのでしょうか。「高天原」は、現在の宮崎県高千穂付近であるという説が有力であり、出雲は現在の島根県に間違いありません。そこに「大宜都比売」こと「徳島県」が登場するのは、いささか唐突印象を受けます。

しかし、わたしの中では「徳島県」が舞台として登場するには、それなりに意味があるものと考えます。

まず一つめとして、「伊邪那岐命」が「三貴士」を生むキッカケとなった禊の場所です。「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原(檍原)」ですが、今も宮崎市に存在します。「高天原」が有力視される高千穂も宮崎県ですから、その地理関係は自然なものに感じられます。この宮崎県に存在する地名ながら、「阿波」が含まれていますね。「阿波」は「徳島県」の旧名です。「岐」は、「分かれ道・分岐点」という意味を持つ漢字ですから、宮崎県にありながら「阿波」と「分岐」する「原」とも解せますが、「阿波岐原」の地名に隠された「阿波」の意味を求めるのは、想像の飛躍が過ぎるでしょうか。

そして二つめは、「建速須佐之男命」が「徳島県」を訪れたならば、その目的があったはずです。地上追放の憂き目に遭うキッカケは、(見ぬ母であるはずの)伊邪那美命」を求めたからでした。その「伊邪那美命」宿る地が「徳島県」であることは、昨日の「国生み」を辿りながらご紹介したと思います。その「伊邪那美命」の面影を求めて「徳島県」を訪れたか、あるいは「伊邪那岐命」「伊邪那美命」が降り立った「自凝島」より天界を求める過程で「徳島県」を経由したかは不明ですが、いずれにせよ、「徳島県」が舞台となり得る場所であると、わたしは考えます。

 

 

 

本日は、「神生み」における非現実性・混乱を見た中で、「徳島県」の位置づけを考えました。

最後に、この【特集】の端緒となったshigeさんのブログで、「三貴士」の中から「天照大御神」を祀る神社が紹介されています。一般に「天照大御神」を祀るのは神明神社で、「阿波」には少なくとも「神明神社」が五社存在しますが、加えて「八倉比売神社(やくらひめじんじゃ)」でも「天照大御神」祀られています。shigeさんの散歩動画で神社の様子をご確認ください。

また、出雲に降り立ったはずの「建速須佐之男命」が「徳島県」を訪れたとすれば、「出雲」との関係性を示す何かが「徳島県」にあるかもしれません。紹介されている「出雲神社」は、室町時代に建立されたもののようですが、まだ他に9カ所ほど「出雲神社」があるのだとか。残る「出雲神社」のうちのどこかに、さらに古代の歴史を紐解くヒントが隠されているかもしれません。