月曜ア・ラ・カルト23 (時事の戯言70)日本の刑法

7月13日 月曜日 月曜ア・ラ・カルト23

 

こんばんは。

 

成田空港に到着した20名外国人の方が、無症状がら陽性だったそうですね。第1弾として4か国解禁した際、出国時の検査と陰性証明書持参を求めていたはずです。偶然見つかって良かった、では済まされません。しかも同じ機内にいた方にも感染の可能性ありますし、入国後2週間きちんと隔離されているのでしょうか。このような状況で第2弾、10か国ほど解禁というニュースも見ましたが、その中には大挙して押し寄せる、あの国やあの国も入っていましたね。そもそもコロナ前、誤って国内線側から入国させて入国審査もしなかった、着岸した船から下船していなくなったと、島国日本のメリットを活かせないほどザルだったのに、このような環境で解禁することに不安を覚えます。

わたしが使う路線の途中に、体育会系の学生や外国人留学生の多い大学がありますが、マスクもせずに大声で話す様子を見ます。そもそも電車内で大声で話すこと自体、マナーに反していますが、もし感染者だとしたなら、あっという間に広がるでしょう。差別するつもりはないですが、送り出す側も、受け入れる側も、きちんとルールを守り、かつ日本の生活様式理解させて欲しいと思います。

 

さて、本題です。

日本の刑法について、元法学部生として思うところがあります。

わたし自身は民事法専攻だったのですが、六法憲法民法、刑法、商法、民事訴訟法、刑事訴訟法の一つである刑法の講義必須科目です。わたしの学んだ大学の刑法学者は、「罪を犯した人を改善・更生させる」見地から刑法が運用されるべきという教育的な意味合いこそ重要であると説いていました。当時からわたしは、この考え方には与しない部分が多くあり、刑法を専攻しなかったのですが、どこに違和感を覚えたかと言えば、重大な侵害を犯した人の人権を守り再起を促しながら、場合によって(殺人などで)再起の可能性も絶たれた被害者の人権は語られないことへの不公平感です。

もちろん、一時の過ちで犯罪者のすべてを否定して良いとは思いませんが、それも犯した罪の重さ次第で、犯罪者の人権ばかり念仏のように唱えるのは如何かと思うのです。

むしろ、古代のハムラビ法典「目には目を」の精神のように、犯した罪に応じた罰を償わせるという応報刑の考え方の方が、わたしにはしっくりくるのです。もちろん、私人による報復が禁じられた法治国家である以上、被害者やその遺族による応報は許されませんから、国家がそれに代わって厳格な処分を行うべきであると。

 

その観点で見ると、納得できない事件や報道がいくつもあります。

たとえば先週金曜日、東京青梅市で、バスを降りた高齢女性が、見ず知らずの女に刃物で刺されて亡くなりました。遺恨があったり、トラブルがあったならまだしも、見ず知らずの人に刺し殺されるなど、普通は想定できないでしょう。まして高齢な女性ですから、咄嗟に回避する、抵抗することすらできなかったはずです。

女は容疑を認めているものの、言動に不審な点も多く、責任能力を調べると言います。この「責任能力」とは、要は事の善し悪しを判断できるかどうかということですが、もしその能力に欠けるならば、結果に対する責任を問えないとして、刑法は不処罰や刑の軽減を認めています。言葉を選ばずに言えば、被害者はやられ損になるわけです。

責任能力」を問えない気の毒な方だから仕方ない、と思えるでしょうか。

 

責任能力」で言えば14歳未満の者も不処罰の対象とされ、それ以上20歳未満については少年法が適用されています。18歳、19歳は量刑の緩和措置は認められないとは言え、報道などで実名報道がなされないなどの措置が取られています少年法は、逮捕者や指名手配者の実名報道を禁じていませんが、マスコミの自主規制により、20歳未満は実名報道されていないのが実態です)。14歳~17歳の犯罪も、極めて重大な犯罪もある中で、はたして刑を軽減する必要があるのか、甚だ疑問なこともしばしばです。

個人的には、選挙権同様に、諸々18歳に引き下げて良いと思いますし、凶悪犯罪については少年であっても刑の減免をしないで良いと思っています。

 

いずれにしても、被害者の人権どころか、命さえ奪われる事件を起こしながら、それでも加害者の人権を重んじ、教育更生を願う見地について、しばしばその根底を揺るがす事件も起きています。今年5月、福島県三春町の国道で清掃作業をしていた2人に、トラック(しかも盗難車)が高速で突っ込み、2人は死亡したという事件がありました。

調べに対し、「社会生活に不安があり、刑務所に戻った方がましと思った」「誰でもよかった。車なら簡単に殺せると思った」供述しているそうです。社会復帰を後押しすべきという教育刑の理念は、見事に崩されていますね。刑務所に入りたいために犯罪を起こすなど、本末転倒で、社会的に見れば言語道断の話のはずです。

どんなに苦しくても真面目に生きている人がほとんどの社会で、こうした話がまかり通ること自体に憤りを禁じ得ません。

 

なぜ刑務所に戻りたいかと言えば、最低限の生活の面倒を見てくれるからでしょう。むしろ、刑務所によっては、快適な生活を送れる場所もあると言います。たとえば大阪刑務所では、熱中症が相次いだことから、弁護士会の申入れにより冷房が完備された他、全居室には液晶テレビが完備され、洗面台トイレもあり、本棚には漫画も置かれていると言います。お務めはあるものの、それ以外は漫画喫茶か安いホテルのような生活が保証されているわけで、高齢者対応している刑務所もあると聞きます。これらは、真面目に働く人々の税金で賄われている一方、「戻りたい」ために真面目な人々の命や人権が侵害されるような犯罪が起きることはおかしいと思うのです。

せめて、「二度と戻りたくない」「絶対に塀の中に戻らないよう更生する」と肝に銘じるような過酷な生活こそ刑務所のあるべき姿でしょう。人権もあって無いような風呂トイレ、食事も不味く、軍隊のような厳しい生活、社会から隔離された「無」の時間・空間で己を見つめ直すような生活こそ、更生のための施設だと思うのですが。

 

他にも、甘すぎる刑法のせいで、むしろ犯罪が助長されているとさえ思うことが多々あります。まぁ、犯罪者の「人権」を大切にする以上、被害者や遺族の泣き寝入りもやむなしと考えているのかもしれませんが、わたしは納得できません。きっとこんな声は一部なのでしょうから、いくら思ったところで変わるとも思えませんが。