マニア161 今昔モノ語vol1~写真~

7月3日 金曜日 マニアな小ネタの世界161

 

こんばんは。

 

「マニアな小ネタの世界」として久々の新シリーズ「今昔モノ語」です。

コロナ禍の自粛生活で、家の中を整理する時間があり、様々なのモノを見つけました。そんな昔のモノをご紹介するのですが、第1回目はありきたりな「写真」です。しかも故郷の徳島の写真ですので、ローカルネタになってしまいますがお許しください。

※本文中でいくつかYoutubeの動画リンクを貼っております。動画は、このブログの読者にもなってくださっているshigeさんが撮影され、Youtubeにアップされているもので、ご厚意により動画の貼付許可をいただきました。shigeさんありがとうございます!認知度・魅力度が低いとされる徳島県の中から、現地を訪れ、地元の良さを発信し続けておられます。皆さんも是非shigeさんのブログやYoutubeをご覧ください。

 

1 徳島駅前 

まずは、徳島市の顔である徳島駅です。

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左はネット上の拾い画像ですが、わたしが中学生頃までは、このような風景でした。右は2015(平成27)年11月にホテルサンルート徳島の客室から自分で撮影しました。

角度こそ違いますが、ほぼ同じ場所を撮影しています。

タクシープールワシントンヤシバスプール徳島市営バス=銀色・徳島バス=黄色)の並びは、ほぼ変わっていません。バスで変わったことと言えば、①経営難に陥った徳島市営バスの多くの路線を徳島バス運行委託していること、②徳島バスの塗装が黄色から白色になったこと、③小松島市営バスの乗入が無くなったことでしょうか。

建物は大きく変わりました。まずは正面に写る駅ビル。1992(平成4)年に完成した4代目となる現在の駅ビルは、商業施設とホテルも一体化しており、随分と立派です。正直、人口25万人徳島市、しかも日本で唯一1m電化されていない徳島県の駅には過剰な気がします。交通系ICカードのタッチどころか、切符を通す改札機も無く、いまだに有人で対応しているというレトロ感には、一緒に訪れた知人も驚いていました。

写っていない右手にはダイワロイネットホテル徳島が建設され、手前に高速バス乗り場も整備されましたが、昔は南海ショッピングプラザ(→とくしまCITY)がありました。明らかにホテル客室数が過剰だと思うのですが・・・どうするんでしょう。

ちなみにワシントンヤシは徳島駅前から元町新町橋方面へと続いています。1953(昭和28)年に植えられて既に65年以上徳島市として親しまれています。

<shigeさんのYoutube動画 徳島駅東新町周辺散歩!>

 

2 祖谷のかずら橋・大歩危

続いては、県西部の祖谷かずら橋です。

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左は1980(昭和55)年に父が撮影したもの、右は拾い画像ですが、3年ごとに架け替えているものの、基本は変わりません。日本三大秘境とも言われる西祖谷山村(にしいややまそん)の渓谷にかけられた橋です。平家落人伝説が残る地であり、追っ手を逃れるため、切り落とせるようにかずらで橋を作ったと言われています。

わたしはココが大嫌いです。高所恐怖症なので、この隙間を見るのが怖いんです。

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さらに国道32号線を西進した大歩危(おおぼけ)の当時の写真です。大歩危の地名の由来は諸説ありますが、「大股で歩くと危険」という意味に因る、あるいは「崩壊(ほけ)」という古語の変形ともされ、いずれにせよ岩が多く難所であることに因ります。

この大歩危は、「ゲゲゲの鬼太郎」でも登場する有名な妖怪こなきじじいの生息地でもあります。こなきじじいの石碑や妖怪屋敷などでPRもしています。

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まだ国鉄時代なので、旧国鉄塗装キハの車両が現役で走っていますね。

変化と言えば、かつては三好郡だったこの一帯が三好市という市に組み込まれたこと。秘境なので郡の方が似つかわしい気もしますが、仕方ないですね。かつて高校野球で名を馳せた池田高校も、この近くにあります。

<shigeさんのYoutube動画 徳島県祖谷のかずら橋周辺を歩いて散歩>

<shigeさんのYoutube動画 ソロモン秘宝が眠る?徳島県剣山近くの【大歩危】の周辺を歩いて散歩> 

 

3 大鳴門橋

続いては、徳島県の県北、京阪神方面からの玄関口である大鳴門橋です。

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左は1983(昭和58)年に父が撮影したもの、右はネットの拾い画像で現在の様子です。

当時、既に主塔完成していますが、肝心のが見られません。大鳴門橋がどのように建設されたかが分かります。下に貼ったのは、同じ時に(おそらく鳴門公園?)撮影された看板ですが、完成予定が「昭和58年」と書かれています。実際の完成の1985(昭和60)年までさらに2年を要していますので、工期遅れがあったのでしょうか。

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そして看板にはもう一つ、「道路鉄道併用橋」の文字もあります。明石海峡大橋の完成で”夢”が絶たれる前、神戸から徳島に鉄道が乗り入れる計画頓挫していなかった時代であったことが分かります。大鳴門橋は道路(上)、鉄道(下)の二層構造から成りますが、淡路島と神戸を結ぶ明石海峡大橋が道路一層構造となり、神戸~徳島の鉄道はとなりました。もし鉄道が開通していたならば、現在の高速バス全盛は無く、当時経営難だった徳島バス破綻していたかもしれません。現在、大鳴門橋の鉄道用スペースは「渦の道」として整備されています。サイクリングロードを作る話も出ています。

淡路島を経由し、神戸と徳島を結ぶ国道28号線という道があります。2つの橋ができるまでは、海上部分途切れていました。当時、須磨港(神戸市)~大磯港淡路市)、亀浦港(鳴門市)~阿那賀港南あわじ市)の2区間淡路フェリーボート24時間運航海上国道としての役割を果たしていました。”浪花のモーツァルトことキダ・タロー氏作曲「海のハイウェイ 淡路フェリー」というラジオCMソングが懐かしいです。

 

4 マリンピア沖洲 

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写真は1997(平成9)年撮影です。

陸の玄関口大鳴門橋ならば、コチラはの玄関口の一つ、マリンピア沖洲(おきのす)です。1994(平成6)年沖洲マリンターミナルが完成し、関西国際空港との間に高速船が発着していました。ほぼ直線で結ぶので、所要時間も短かったのですが、現在は高速船は廃止されています。実はわたしは、大学時代などにこの高速船を使っていたのですが、廃止される理由は一度乗れば分かりました。揺れが酷いんです。狭い紀伊水道は流れも速いのですが、その紀伊水道の流れに垂直に、しかも高速横切るわけですから、乗り心地が良いはずありません。案の定、船の甲板お手洗いには、手土産もそっちのけで並ぶ人の列が絶えず・・・と、お食事前後の方が多いと思いますので、これ以上の踏み込んだ記述は控えます。ご想像ください(いや、想像しないでください)

そして2002(平成14)年南海フェリーによる和歌山港便が無くなったことで、海上ターミナルとしての機能を失うこととなりました。短命でしたね。

 

5 その他

最後は徳島市の写真をいくつか。

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1980(昭和55)年に、徳島市金沢町から市内中心部方面を写したものです。奥に見えるのは、徳島市のシンボル・眉山です。夕暮れ時セピアカラーの写真、岩崎宏美さんの「家路」か、金曜ロードショーのオープニングが流れてきそうな物悲しい風景です。金沢町は吉野川の河口に近く、土手から釣りをすると、海の魚が結構釣れます。f:id:Masa_S:20200624155734j:plain

そしてコチラは1980(昭和55)年頃のとくしま動物園です。現在は渋野町という場所に移りましたが、わたしが徳島を離れたときはまだ、中徳島町二丁目にありました。現在の城東高校近くであり、かなり市の中心部です。市の中心部に動物園、便利な反面、近隣住民の方には迷惑だったかもしれません。そして現在地に移転したのが1998(平成10)年ですが、おそらく現在も跡地の有効利用の目途が立っていない気がします。コンサートホールを作ると聞いた気がしますが、できたのを知りません。

 

最後に、ネットで見つけた東新町眉山ロープウェイの画像です。

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東新町アーケード入口にはかつて、地元の丸新百貨店がありました。「丸新に買い物に行く」と聞くと、子どもながらに少しオシャレしなければならないような軽い緊張感がありました。その丸新百貨店は、信号2つ先の駅前にそごうができたことで客足が遠のき、閉店となったのでした。現在、丸新百貨店跡地には、昔で言うところの第一地銀である阿波銀行が本店を構えています。それにしても、丸新百貨店を閉店へと追い込んだそごうが、今年は閉店し、ついに百貨店ゼロの県になってしまいます。フジグラン、ゆめタウン、イオンとあれば事は足りると思いますし、それこそ京阪神に日帰りできますからね。時代の流れを感じずにはいられません。

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白黒なのでかなり古そうですが、わたしが知る当時もほぼこのままでした。

おそらくは新町橋二丁目交差点の歩道橋から撮影したと思われますが、正面の建物は現在、阿波踊り会館に建替えられています。その左側には、地元では有名な田岡病院の文字が見えます。田岡病院は現在、かつての徳島サティ跡地(万代町)に移転し、より大きな病院として生まれ変わっています。

<shigeさんのYoutube動画 徳島市眉山頂上周辺を歩き散歩>

 

10年ひと昔と言いますが、徳島を離れて25年程のわたしがかつて見てきた風景も、今ではすっかり変わってしまいました。こうして見ると、懐かしいだけでなく、面白いものだと感じました。今では誰もが動画を撮影し、記録として発信できる時代です。今回動画をご提供いただいたshigeさんは、県内各地の動画を撮影され、発信されていますが、きっと今後25年で、さらに変化が生じることでしょう。

また25年後に、見比べてみると面白いでしょうね。