月曜ア・ラ・カルト7 人心

2月24日 月曜日 月曜ア・ラ・カルト7

 

おはようございます。

天皇誕生日の振替休日の朝です。

昨日は気分転換に、福島県に日帰りドライブに出掛けました。途中、那須塩原市(栃木県)付近から福島県内にかけて、時折、猛吹雪で、運転中の視界が非常に悪いときもありました。そうした天候も少なからず影響しているのでしょうが、3連休にもかかわらず、観光地やSAの人出の少なさは、やはり新型コロナウィルスの感染拡大が影響しているのでしょうか。年齢層も広くなり、感染された方の中には重篤な状態の方もいますから、当面この恐怖心は拭えないでしょうね。加えて、政府や厚生労働省の対応にも疑問の目が日増しに強まっており、ひとまず自分の身は自分で守るしかなさそうです。

 

そんな収束の気配が見えない新型肺炎コロナウィルスですが、震源地である中国では死者・重傷者などがたくさんいる状況です。報道を見ていますと、その疲労困憊の中国の人々の中で、日本への評価が急上昇していると言います(真偽は不明ですが)

比較的初期段階で、いくつかの国が入国禁止強制送還に踏み切りました。中には日頃、中国経済に依存している国もあり、これを知った中国の人々が「落井下石」(井戸に落ちた人に石を投げる=人の危急につけこんで打撃を加える)行為だと怒り心頭だという記事を読みました。国によっては、医療レベルが追い付かず、蔓延を防ぐには仕方ない事情もあると思いますが、少なくとも中国の人々にはそう映ったのでしょう。

そうした段階で日本は、外相が一番に支援を申し出て、与党幹事長が「親戚の人が病になった」と例えて見舞いの気持ちを伝えました。また、友好都市の関係にある日本の自治体から、マスク防護服などが送られ、日本政府もチャーター機に支援物資を乗せて送りました。物資を送るにあたっては、単なる物の輸送に留まらず、武漢加油武漢がんばれ!)など、想いも一緒に届けたと言います。とりわけ中国の中で広く感動的な言葉と受け止められているのが「山川異域 風月同天 寄諸仏子 共結来縁」で、「山や川国土は異なろうとも、風も月も同じ天の下でつながっている。この袈裟を仏弟子喜捨し、共に来世での縁を結ぼう」という意味だそうです。肉体的・精神的に滅入っている人々にとって、心の連帯を伝える良い漢詩ですね。「落井下石」とは対極にある振舞いでしょう。日頃何かと睨み合う国ながら、日本では「困ったときはお互い様」という精神もあるため、今回の支援のような流れが自然にできるのでしょう。国内でも感染拡大がやまない点は、初動に問題が無かったとは言い切れませんが、こうして両国民の間で心温まる関係が紡がれていること自体は、わたしは良いことだと思っています。

 

話は変わって、プロ野球界のみならず、多くの人がその死を悼んでいる野村克也氏死去についてです。数々のコメントを見ながら想うのは、本当に多くの人に接し、影響を与え、その言葉や思想が人生訓として残されているのだということです。

わたしが意外に思ったのは、清原和博のコメントでした。超高校級の活躍でプロ野球に進み、人気・実力ともに高かった彼が、いつしか「番長」と呼ばれ、コワモテになり、最終的には薬物に手を染めて逮捕されたことは周知のとおりです。かたや野村克也氏は、一野球人以前に人間教育を重んじ、髪の色や髭などには厳しいことで知られます。わたしの中では水と油、対極的な存在だと思っていました。しかし清原氏「一度でいいから同じユニホームを着て野村監督の下で野球をやりたかった」「私が罪を犯した時、野村さんがバカヤロウだと人づてにコメントしたと聞き、本当に心が痛み」「執行猶予を終えたら、直接謝罪に行かなければならない」と思っていたと記しています。この野村克也さんの「バカヤロウ」が憎しみではないことは、「いつか野球界に戻ってこい」という言葉からも窺えますね。まさかあの清原氏が、相容れないであろう野村氏を尊敬していたとは思いませんでした。ただ、それほどに野村氏は人心をしっかり掌握していたことの証左でもあるでしょう。

 

これら各事例を見るとき、結局は、人と人が接する中で、人の心を掴むには、きちんと相手に向き合い、相手を思い遣ることが大切なのだと感じました。

人間です。そのを大切にすれば、もっと笑顔が、もっと明るい話が増えるのではないか、そんなことを想いながら、このところのニュースを見ています。