月曜ア・ラ・カルト5 地域

2月10日 月曜日 月曜ア・ラ・カルト5

 

こんばんは。

5回目となります、今夜の「月曜ア・ラ・カルト」のキーワードは、地域です。

このところ、幼い子どもが親に虐待され、命を落とす、あるいは生きる上で大きなハンデとなるような重度の障害を負わされるといったニュースが後を絶ちません。

児童相談所に持ち掛けていたものの、この結果を防げなかったというケースも多いですね。児童相談所としては「痛恨」「遺憾」といった言葉を挙げ「再発防止」を掲げるのですが、やはり同様のケースが各地で起きています。わたしの感想としては、相談員の方々も人ですから、威圧的な親に脅されれば恐怖も感じるでしょうし、圧力に屈することも仕方ないのだと思います。表立って「怖かった」「虐待をやめさせる強制力が無い」と言えず、最善を尽くしたと言わざるを得ないだけなのだろうと推測しています。

しかし、反面において、ただでさえ少子化の日本において、せっかく生まれた貴重な命を、無残に失うことを野放しにして良いとも思えません。

かつて、赤ちゃんポストができたとき、倫理的な観点から否定的に捉える向きもありましたが、もはやそんなことを言っている場合でも無いでしょう。生まれたばかりの子を親が殺すよりマシ、子育てにストレスを抱えて虐待するよりマシ、という消極的な理由の中でも、育てられない親が育児を放棄する権利を認める時期が来ている気がします。誤解無きよう書くならば、わたしは生んだ親が子どもを大切に育てるべきだと思っていますし、本来の親子が親子として関係を築くことが最善であると思っています。加えて、子を殺す、あるいは虐待を加える親を肯定するつもりは毛頭ありません。ただ、そうなる予兆を自ら感じた親がいるならば、本来は望まぬ形態であるものの、自ら放棄することで、犯罪者にならずに済む親と、傷つかずに済む子の命を守れるのではないか、と思うのです。それほどに、子への育児放棄や虐待が深刻だと思っています。

 

さて、仮にそうした場合、その子どもを、誰がどのように育てるのかが問題ですね。

一つの答えは、子どもが欲しくても授かることができない夫婦、あるいは里親でしょう。共通点としては、子どもを受け入れたいと願っていることです。そうした親であれば、自分たちと血の繋がりは無いとしても、子どもが好きという観点から、きっと虐待などせずに大切に迎え入れ、育ててくれることが期待できると思うのです。

もう一つの答えは、地域で育てるという選択肢です。さすがに戸籍無しとはいかないため、本来の親との戸籍を維持したまま、しかし完全に別離して育てるのです。

その場合、育ての親が必要でしょうが、わたしはココでお年寄りの力と経験が役立つのでは無いかと思っています。かつての日本では、3世代同居が常識でした。その中でのお年寄りの役割は、大所高所から、孫と子を優しく見守り諭すことにあったはずです。お年寄りのスローなペースは、特に幼い子どものそれにマッチするので、情操教育の意味でもお年寄りの存在意義は大きいものでした。

現在では核家族化が進み、独居老人も社会問題化しています。わたしのイメージでは、やがては独居・独身老人たちによるシェアハウス生活も日常化する気がしています。まだ身体の動くうちから、シェアハウスに集まり、趣味や世代を同じくする仲間で楽しく過ごすのです。場所は老朽化した広い空き家や集合住宅、廃校などでしょうか。

そこに、育児放棄された子どもや、医療や福祉・教育に従事する若い世代を加えてコミュニティを形成し、疑似的な3世代同居を形成してはどうか、と。

これが可能ならば、空き家問題孤独死問題、子どもへの虐待問題に、不完全ながらも一つの方向性が出せる気がします。その際に必要なのは、やはり地域という繋がりと、その地域の自治体の協力ではないでしょうか。

 

毎日垂れ流されている、悲しい現実のニュースを目の当たりにしながら、本当にただ漠然と、そういうことができないものかな、と感じているだけですが。

何も纏まりもリアリティも無い話ですが、今夜はわたしの妄想を書きました。