おとなの学習帳37 閏年と干支

2月6日 木曜日 おとなの学習帳37

 

こんばんは。

木曜日テーマ候補が一巡し、再びの「おとなの学習帳」です。

2月に入りカレンダーを見ると、今年は閏年であることが分かります。2月が29日まであります。この1日を挿入することで、季節と暦のズレ修正しているわけです。

閏年4年に1度あり、結果的に、オリンピック開催年と一致するほか、日本の干支で言えば、子年・辰年・申年閏年に該当します。実際、今年も子年ですし、夏には東京オリンピックが開催されるので、その法則に則っています。

 

オリンピックは別として、わたしは閏年と干支は毎回必ず一致するものと思っていました。逆に言えば、子年・辰年・申年で平年閏年では無い年)は無いものだと。

しかし、実は例外があることを皆さんはご存知でしたか?

日本における閏年根拠となる法律は、西暦によらず皇紀により行うことが、明治三十一年勅令第九十号閏年ニ関スル件・明治三十一年五月十一日勅令第九十号)によって定められています。そこには以下のとおり定めがあります。

神武天皇即位紀元年数ノ四ヲ以テ整除シ得ヘキ年ヲ閏年トス
但シ紀元年数ヨリ六百六十ヲ減シテ百ヲ以テ整除シ得ヘキモノノ中更ニ四ヲ以テ商ヲ整除シ得サル年ハ平年トス

まず、神武天皇即位紀元年数(皇紀年数)を4で割って、割り切れる年が閏年です。神武天皇の即位はいつかが問題になりますが、現在は紀元前660年とされています。

その根拠となるのは日本書紀で、「辛酉年春正月庚辰朔 天皇即帝位於橿原宮是歳爲天皇元年」(かのととり はるむつき かのえたつ ついたち。天皇 橿原宮に於いて即帝位す。是歳を天皇元年と爲す)と記されており、この辛酉年が紀元前660年なのです。

あまりに気の遠くなるような昔の話に驚きますが、明治時代に、この神武天皇の即位紀元年数をもとに閏年を決めると定め、現在もこの勅令が生きています。

さて、遡って但書も読んでみます。

皇紀年数から660を引くと100で割り切れる年で、かつ100で割った時の商が4で割り切れない年は平年とすると書いてあります。なんとも難しく感じますが、神武天皇の即位念が紀元前660年ですから、西暦+660年(紀元前)-660年=西暦がベースです。

これを100で割って割り切れ、かつ、その割った数を4で割り切れない年は平年です。

つまり、西暦の下二桁が00年で、400で割り切れない年は平年ということですね。

例えば2000年は、下二桁が00ですから100で割り切れ、割った数字20も4で割れますから、この年は閏年でした。一方、次に来る2100年は、100で割り切れるものの、21を4で割ることができないので、平年になります。

この定めは、明治5年に公布された太陽暦への改暦詔書の内容が不十分であったため、1900年(明治33年)を平年とするために後から付け足したとも言われています。

 

こうして、400で割り切れる西暦は400年に1度巡ってくるため、下二桁が00年となる年について見ると、閏年→平年→平年→平年→閏年・・・と続くことになります。

かたや干支は12年で一回りしますから、子年・辰年・申年であっても閏年にならない年のサイクルを考えると、600年ごとになります。たとえば辰年で考えると、1700年が平年でしたが、次に平年となる辰年は2300年だそうです。とても気が遠くなりそうです。

 

今夜は、閏年と干支について書いてみました。