マニアな小ネタの世界133 追悼・高木守道さん

1月24日 金曜日 マニアな小ネタの世界133

 

こんばんは。

初代ミスタードラゴンズと呼ばれ、選手・監督・OB会長など、中日ドラゴンズ一筋を通し、1月17日に亡くなった高木守道さんについてです。

 

正直なところ、わたしが中日ファンになった頃には既に引退しており、現役時代のことは知りません。しかし、故人となって多くのコメントを見ると、とにかく守備の上手い二塁手だったことが分かります。我が家の(王貞治氏ファンの)母も「守備が上手かった」と言っていましたので、多くの方の印象は守備にあるのでしょう。日本で初めてバックトスを取り入れたという情報もありました。

一方で、盗塁王を3度獲得、通算236本塁打、通算2,274安打と、打撃や走塁でも実績を残していますので、まさに走攻守揃った二塁手だったのですね。

ちなみに、歴代選手の中で選ぶベストナインというお題目で、野村克也さん、落合博満さんがともに二塁手として高木守道さんを選んでいます。実際、高木守道さんは、二塁手として史上最多の7度のベストナインにも選ばれています。

 

そんな輝かしい現役時代の姿を知らないわたしにとっては、地味で、短気で、それでいて素直なおじいさんという印象が残っています。

1 地味  

現役時代から「いぶし銀」だと言われていたそうですが、派手さは無いですね。

特に第1次政権は星野監督、第2次政権は落合監督という、色々な意味でクセの強い監督の後を引き継いでおり、対比で地味さが際立っていました。

現役時代を知らないため、どうしても監督という目で見てしまいますが、監督としてのがハッキリ見えてこない方だった印象です。しかし、クセが強かった前任者の中で引き受けるには、一度そのクセを鎮める必要もあるのでしょうから、その意味では適任だったのでしょうし、よく引き受けたなぁ、とも思います。

 

2 短気  

一方で、「瞬間湯沸かし器」の異名を持つほど短気なことでも知られています。

落合氏が退任時、後任の高木監督へのコメントを求められ、「とにかく怒らずに」と話しているのを見たことがありますが、それほど有名だったのでしょう。

第1次政権の際は、前任者の星野監督激高・抗議・退場・乱闘が際立っていたので、さほど短気に見えませんでしたが、第2次政権では、短期ぶりを存分に見せてくれました。正直、落合政権の8年で優勝争いに慣れていたわたしには、勝負よりも、高木監督の短気ぶりが漫画チックで面白かったのです。

テレビでも再三取り上げられたのは、権藤コーチとの70代バトル、谷繫捕手への懲罰交代、井端選手とのベンチ内バトルなどです。

試合中にも関わらず、顔を真っ赤にして権藤コーチと言い争う姿は滑稽でした。

その短気ぶりは、「攻めだるま」とも言われた采配にも見られました。野球ゲームで遊んでいても絶対にしないような、後先考えずに選手を継ぎ込んで選手が足りなくなるといった謎多き采配を振るうなど、思わず笑うこともありました。

 

3 素直  

自身の誤りは率直に認めて謝罪する人だったという追悼コメントも多く見られました。

素直さは、監督時代の試合後のコメントを見るとよく分かります。たとえ勝った試合でも、投手の投球内容が気に食わなかったときは「そーですね!」「そーーーですね!」と怒り心頭で不愛想なコメントを連発し、インタビュアーを固まらせました。

一方で、闇雲に選手を投入して、見ているファンとしては(選手が足りなくなる)スリリングな試合で競り勝つと、「よー勝ちました」と、インタビュアーの質問も聞かずに饒舌に喋るという興奮の様子を見せてくれます。

むっつり右門というあだ名もあったそうですが、実は人間的にとても素直で、感情を隠すことができない、分かりやすい方だったのだろうと推測します。

 

ドラゴンズファンにとって忘れられない巨人との「10・8決戦」で惜しくも胴上げ監督にはなれませんでしたが、色々な意味で記憶に残る方でした。その意味でも、やはりドラゴンズの歴史を語る上で欠かせない存在だったのだと、改めて思います。

まだお元気だっただけに、突然の訃報には驚きましたが、ご冥福をお祈りします。そして、空の上からドラゴンズを見守っていて欲しいと願うばかりです。