月曜ア・ラ・カルト2 校則

1月20日 月曜日 月曜ア・ラ・カルト2

 

こんばんは。

1月19日付 週刊文春デジタルで、静岡県浜松市立中学校のブラック校則に関する特集記事が掲載されていました。これには当事者、一般の人含め賛否両論あるようで、わたしなりに、その賛否を考えてみました。

 

1 校則の必要性  

イクラスの進学校などで、校則が無い、あるいは生徒が校則を作るという学校もあるようですが、ほとんどの学校で校則があると思います。

まず、小学校~高校という期間は、社会に出る前の助走期間です。同級生、上下級生、教師といった限られたコミュニティではあるものの、コミュニティで人が暮らす中で守るべきルールを設けることで、社会人になるための勉強をしているのだと思います。

社会にはさらに大きいコミュニティが広がり、社会全体で守るべき法律、地域や会社の規則などがあるわけですから、その疑似体験とでも言えるでしょう。

加えて、まだ善悪の判断がつかない、あるいは思春期特有の”度を超す”行為を防止する意味でも、一定の縛りを設ける必要性もあると思います。

自主自律できる子は少ないので、その意味で、わたしは校則は必要だと思います。

 

2 校則の在り方  

そこで、今度は校則の在り方(度合)が問題になると思います。

学生・生徒の本分は学業です。特に思春期では、ファッションを意識したり、異性を意識することが自然と言って良いでしょうから、そこに歯止めを掛ける意味で、校則が細かく厳しくなりがちになるのかもしれません。

すごく漠然とした表現ですが、個人的には、学生に相応しい身なり、その学校の生徒として相応しい言動を求めるものであれば、あまり詳細にするのも如何かと思うのです。

特に最近は、ジェンダーの問題や、外国人の子どもも増える中で、つぶさに決めすぎることは時代にそぐわない部分も出てしまうと思います。

かと言って、野放図に認めれば、学生の本分に合わない身なりや言動も生まれ、引いては校内の風紀の乱れや、生徒自身の身辺でも良くないことが起こり得ます。

結局のところ、その相応しいを、どこまで決めるのかの問題なのだと思うのです。

今回取り上げられていた浜松市の市立中学校の場合、下着の着用が校則で決められています(但し、女子はベージュも可)。その理由は、白の体操服で過ごすと、で透けてしまい、そこに派手な下着を着用していると、思春期の男子生徒に影響を及ぼすためだと言います。なるほど、言わんとするところは理解できます。

しかし、それが理由ならば、男子生徒にも白下着を要求している理由が分かりません。男女の公平性の観点かもしれませんが、汗で透けるという理屈が通らなくなります。

たとえば白下着の校則については、「華美なものは避けること」「透けて目立つ色は避けること」という程度の表現で良いのではないかと、わたしは思います。

頭髪の色も、外国人の子どもも増える中で、全員黒にしなさいという時代では無いでしょう。「頭髪を染める・色を抜くなど、意図的な行為をしない」ことを求めれば良いのであり、何色にしなさい、髪型はこうしなさい、は細かすぎる気がします。

 

この記事で教師が話していますが、手を加えないまま残ってきているだけであり、積極的に残しているわけではないのです。今一度、校則の存在意義や、そこで生徒に求めることに焦点を当てることで、あまりに細かすぎる、あるいは時代に合わない校則は変えられる気がします。ブラック校則問題、今後どのように推移するか、関心があります。