月曜ア・ラ・カルト1 配慮

1月13日 月曜日 月曜ア・ラ・カルト1

 

おはようございます。

2020年が幕を開けたと思えば、早くも1月が半分ほど過ぎようとしております。この月日の流れの早さを昔は感じず、時間は無限にあると思っていた20歳の頃の自分に、時間の大切さを説きたい気分の今日は「成人の日」ですね。

さて、以前【告知】済ですが、本日より、「月曜ア・ラ・カルト」がスタートします。

第1回目は、大人にも(もちろん子どもにも)必要な「配慮」についてです。

 

わたしは仕事で渋谷の街を歩くことがあります。

訪日外国人が目立ち始めた頃、彼らが訪れたいスポットとして注目を集めたのが、ハチ公口にあるスクランブル交差点です。数多行き交う人々が、ぶつかることなく整然クロスする様が、外国人の方には芸術的にさえ映るのだと聞いたことがあります。

わたしはこれは、日本人が持つ「配慮」が織り成したものだと考えています。お互いが気持ちよく通行するために、気を配り、自制し合う中でこそ可能なものであると。

「配慮」というのは、「慮」を「配る」、「慮」は「おもんばかる(おもんぱかる)」と読み、周囲の状況に思いを巡らせることですから、まさに「心配り」を意味します。

ところが最近、他人への「心配り」が見られない人をしばしば見かけます。例えば

■ リュックなどを背負い方

電車を降り、前に抱えていたリュックを背負うサラリーマンは増えています。背負う際、背後を気にしない人が意外と多い気がします。目の前を歩いている人が、急に大きなリュックを後ろに回すと驚きますよね。場合により、事故やケガを誘発します。

背後に人がいないか確認して背負う、当然の「配慮」ではないでしょうか。

■ ドア横での立ち方

通勤電車の座席で人気のある位置と言えば、シート両端が挙げられます。

片側には人が来ても、もう片側は間仕切りがあって落ち着きますし、乗降スムースに行えるメリットがあります。しかし、その位置に座ると、意外とイライラすることがあります。ドア横に立つ方が、間仕切りにもたれかかると、体が頭上空間に迫ってきたり、着衣のフードが目の前に来たり、長いが顔に当たったりと、とかく自分の空間を侵害されることに不満を覚える経験は、わたしだけではないと思います。

■ 傘の持ち方

かなり前にこのブログでも書きましたが、傘の持ち方でも危険を感じます。

傘には持ち手がありながら、何故か(地面に水平)にしての部分を握り、腕の振りに合わせて傘を前後に動かす人がいます。本当に危険だと思います。特に上り階段でこれをされると、場合により傘の先が後続の方に当たり、失明などの危険性があります。

もちろん、失明に至らなくとも、トラブルのキッカケになるでしょう。

リュックも、ドア横の立ち方もそうですが、自己中心的で、とりわけ後方への「心配り」に欠けるケースが結構あるのです。

■ 道の歩き方

こちらは一人、向こうからは横に広がった複数人が歩いてきて、狭い道ですれ違うときがあります。複数人の側がに並んで道を譲り、こちらは会釈などで謝意を示す、これが「心配り」の一つでしょうが、多勢に無勢とばかり、まったく避ける様子も無いままに横に広がったままで歩いてくるケースも多くなりました。

「心配り」に欠けるのは、なにも後方だけではないのだと思い知らされる瞬間です。なぜ、少し避けるだけで済むことをしないのか、理解に苦しみます。

■ 傘の差し方

道の歩き方にも通じますが、の日に傘を差して歩きながら狭い道ですれ違う場合、「傘傾げ」という行動を取ります。字のとおり、お互いに傘を少し斜めにすることで、傘同士がぶつかるのを避ける、他人への「心配り」の表れだと思います。

しかし残念なことに、最近では全く避ける素振りも見せず、傘が当たっても平気な顔で行き過ぎる方がいますね。ほんの少し傾けるだけで、お互いが嫌な思いをせずに済むのに、なぜ自分は譲ろうとしないのか、不思議です。

■ 咳やくしゃみの仕方

これもよく言われますが、いまだに咳・くしゃみエチケットができない人がいます。

まるで大きな音の咳やくしゃみが偉いとでも言わんばかりに、も塞がずに咳やくしゃみをするのです。わたしは自然の空気の匂いが大好きで、できればマスクを使いたくないですが、咳・くしゃみ攻撃の回避のためにマスクを着用しています(特に冬は)

ウィルスを撒き散らす人こそ、マスクを着用して欲しいのですが、そんな「心配り」ができる人ならば、咳・くしゃみエチケットもできるでしょうから、そもそも期待しても無駄です。マスクは自衛のための手段なのです。

これだけ飛沫感染の話も出る中で、口を押えない、口を押えた手で吊革やドアノブに触れるなど、「心配り」できない人を見ると残念でなりません。その意味で、わたしはスーパーの店員さんなどでも、マスク着用には賛成です。「礼を失する」という意見もあるでしょうが、礼をわきまえたお客ばかりではないですし、店員さんが咳・くしゃみをするケースもあるでしょうから、お互いが気持ちよく過ごすための「心配り」ですね。

 

日常ですぐ思いつくだけでも、これだけあります。

果たして日本人は、本当に「心配り」ができ、他人への「おもてなし」の気持ちに満ちた国民なのでしょうか。渋谷のスクランブル交差点の乱れを見ながら、思うのです。

もちろん、わたしは人様に偉そうに講釈を垂れるほどの人間では無いですが、「自分がされて嫌なことは他人にもしない」「自分が相手の立場ならどう思うか」という、小学生に教えるようなことを、今一度、大人も考える時期だと思うのです。

「成人の日」を迎える皆さんには、どうか「心配り」のできる、スマートな大人になっていただきたいと思います。第1回の「月曜ア・ラ・カルト」、今日はこの辺で。