MASA日記

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乗り物139 クルマのはなしvol22 9代目クラウンは悲運だった

11月19日 火曜日 乗り物139

 

こんばんは。

今夜の「乗り物」は、国産高級車の雄であるトヨタ・クラウンの歴代モデルの中で、悲運だったとも思える9代目クラウン(S140型)を振り返りたいと思います。

 

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これは、本日のメインである9代目クラウンと、その直前の8代目クラウンを比較した表です。ともに3.0LロイヤルサルーンGでの比較をしています。

爆発的ヒットで歴代モデルで最多販売台数(4年間で約75万台)を記録した8代目と、「失敗作」との烙印を押された9代目、諸元を比較する限り大差はありません。価格についても、順当な推移であり、価格が上昇したことが販売に影響したと思えません。

 

■ 9代目は意欲作だが売れず

まず、この世代からの特徴として、全車3ナンバーとなったことが挙げられます。

サスペンションはダブルウィッシュボーン式を採用し、乗り心地の向上を図った他、トヨタ初となる5速ATの採用、GPSカーナビゲーションシステムの搭載など、クルマとしては正常、いや大きな進化を遂げたのでした。

実際、わたしの友人の父親がこのロイヤルシリーズに乗っており、1度だけ乗せてもらいましたが、室内は非常に静かで、それまでのクラウンに比べて座面は硬めな印象を受けましたが、路面の細かな凹凸は足回りで軽くいなすので、揺れも無い上質な乗り心地でした。インパネもスッキリと纏められており、新しさも感じました。

さすがバブル経済真っ只中で開発されただけあり、設えの良いクルマでした。

 

それでも販売台数が激減したには、理由があるでしょう。外的な要因としては、経済の差です。絶好調だった8代目は、1991(平成3)年までの4年間販売されましたが、まさにバブル経済が留まるところを知らず、高級車市場も賑わった時代でした。

一方で9代目の登場は1991年10月ですが、後にバブル経済の崩壊は1991年に始まったと言われるようになりました。つまり、登場した時期は景気後退期に当たります。

大蔵省の総量規制通達に加え、日本銀行の急激な金融引き締め策、世界では湾岸戦争が勃発、国内では雲仙普賢岳の噴火など、経済が委縮する要素が重なりました。

ユーザーの財布の紐も厳しくなる中、高級乗用車やスポーツカーといった贅沢な市場は後退を余儀なくされたのでした。しかし、9代目が売れなかった理由は、クラウン自身にもあります。「クラウン 9代目」で検索して出てくるサイトを見ると、ほぼ「失敗作」の文字に加え「デザインが不評だった」と書かれています。

どんなに中身が素晴らしくとも、欲しいか否かは外観によるところは多いですよね。9代目クラウンのデザインが判明してから、8代目クラウンの駆け込み需要が急増したり、中古車市場で8代目と9代目の価格が逆転するなど、外的要因以上に、外観が販売台数に影を落としたことは間違いないと思います。

 

■ 8代目と9代目の外観比較

過去最高を記録した8代目と、失敗作とされる9代目の外観を比較します。

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左が8代目、右が9代目です。

以前も書きましたが、わたしは歴代国産高級車の中でも、8代目クラウンは屈指の秀逸なデザインだと思っています。直線基調に丸みを帯びさせた重厚感、奇をてらわない王道のデザイン、そうした中に感じる品格威厳凛々しさが、見事に表現されていて、特に1989(平成元)年マイナーチェンジ後の後期型非の打ちどころが無いとさえ思っています。豊富に資金があれば、手元に1台置きたいくらいです。

これに対し9代目は、全体に丸みを帯びたため、贅肉だらけに感じられます。加えて、横縞の服を着るとふくよかに見えるのと同じで、グリル横罫ばかり目立つため、余計に締まりがありませんでした。極め付きはリアの処理で、日本ではほぼ成功例の無い尻下がりに見える上、テールのデザインが格下のコロナと似ているという致命的なマイナスポイントも加わり、一言で「安っぽい」デザインだと受け止められてしまったのでした。8代目が立派だっただけに、際立ってしまいましたね。

 

■ 2年で整形手術

この9代目クラウンは、1993(平成5)年にマイナーチェンジを受けます。マイナーチェンジでは、通常、部分的な意匠替えに留まりますが、このときは異例とも言える大手術が施されました。当時の雑誌には、Cピラー以降のパネルすべてを見直したと書かれていたと記憶しています。もはやフルモデルチェンジレベルの変更ですね。

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左が9代目前期型、右が9代目後期型です。

トヨタプライドをかなぐり捨てての大規模マイナーチェンジです。端的に言えば、8代目への先祖返りを図ったデザインでしょう。尻下がりに見えないよう、なるべく直線を意識し、グリルの縦罫を目立たせ、テールランプは8代目後期型に似せています。ナンバープレートの位置まで変えており、相当な危機感だったことが見て取れます。

この威信をかけたマイナーチェンジが奏功し、販売は回復したのでした。

外的要因の一つである景気は、後期型の段階でさらに悪化の一途を辿っていたので、前期型が売れなかった最大の要因はがデザインの悪さだったことを証明していますね。

 

■ 9代目前期型は悲運だった

それにしても、何故9代目前期型は、あのようなミスを犯したのでしょうか。

わたしは、9代目クラウンロイヤルシリーズのデザインにあたって、3つの使命が課せられたのだと勝手に推測しています。

トヨタ車最高峰はセルシオという事実

初代セルシオの登場は1989(平成元)年、価格面でもトヨタ車の中の最高位という事実がありました。海外メーカーと伍して戦うためにも、(BMWのキドニーグリルや、ジャガーのデザイン同様に)一見してトヨタ車だと認識できる共通のアイコンやデザインテイストが求められ始めていました。セルシオからカローラに至るまで、セダン群の共通デザイン化を浸透させる中で、クラウンロイヤルシリーズ(以下「ロイヤルシリーズ」)も決して例外では無く、ミニセルシオを装うことを求められたのでしょう。

 

②クラウンこそ最高位という意識

しかし、1955(昭和30)年より国産高級車市場を牽引したクラウンのユーザーにとって、新参者のセルシオがいきなり頂点に立つことは受け入れがたいことでしょう。

まだ多くのユーザーの中に、クラウンこそ国産最高級という意識は根付いていたはずです。かと言って、ロイヤルシリーズをセルシオと同等以上にすることはできません。

そこでトヨタは、この世代から、クラウンファミリーの中にクラウンマジェスタ(以下「マジェスタ」)という派生車種を作り、セルシオに匹敵するクルマですよ(実際はやや格下ですが)”と言う傍らで”そしてクラウンなんですよ”と謳うことで、既存オーナーのプライドを保つ策に打って出たのです。結果的に、8代目までのクラウンオーナーにとっては、派生であるはずのマジェスタこそ、正統なクラウンに映ったことでしょう。

したがって、ロイヤルは、このマジェスタをも超えてはいけないのでした。

③8代目からは路線転換

大ヒットした8代目は、7代目のデザインを踏襲し、洗練させたものでした。

仮に9代目もキープコンセプトのデザインとした場合、7代目から数えて12年(=4年×3世代)という年数の中で、デザインの耐久性が失われることを危惧したと思います。

しかも元号が平成に変わったのですから、昭和末期からのデザインを引き継ぐのではなく、新しいデザインで挑むしか無かったのだと思います。

 

セルシオに倣う、しかしセルシオやマジェスタよりチープなデザインでなければならない、そして成功した8代目を踏襲できない、こうした制約の中でクラウンをデザインしなければならなかったと推測すれば、その心中察するに余りあります。

 

 

こうした制約無くデザインされたならば、おそらく「失敗作」と言われるようなデザインにはならなかったことでしょう。中身が成熟した出来の良いクルマだっただけに、9代目前期型ロイヤルシリーズは、悲運のクルマだったと思っています。