温故知新27 師たる者

10月7日 月曜日 温故知新27

 

こんばんは。

 

最近の学校では、卒業式で仰げば尊しを歌わなくなって久しいと聞きます。わたしの頃は卒業式の定番で、あの歌を歌って数あるに想いを巡らせつつ、学び舎を去るということに、わたしは自分の成長を感じたのでした。

 

歌詞を見れば、たしかに古文のような馴染み無い言葉が並びますが、だからといって今風では無いと葬り去るには勿体無い歌でもあります。一番最初に仰げば尊し 我が師の恩 教えの庭にも はや幾年」と、真っ先に師への恩が登場します。

わたしは今でも小学校時代の先生二人とは年賀状をやり取りしていますが、この二人との出会いは自分の人生に大きな影響を与えたと思っています。だからこそ今でも感謝していますし、こうして学び舎を去って30年経過しても尚、尊敬するのです。

 

「師」という文字がつく職業を見ると、教師、医師、牧師など、倫理観高く、教え導くような職業に充てられる文字です。(一方、「士」は専門的な技術などを持つ優れた職業に充てられているという違いがあります)

まさに教師は、まだ社会に出る前の子どもを教え導くという、社会において非常に大切な役割を担う職業だと思っています。日本が他国に比べ民度が高く勤勉だと言われますが、家庭教育に加えて学校教育における教師の貢献度もまた、高かったと思うのです。

単に勉強を教えるだけならば、場合によって予備校の方が優れていることもあるでしょう。それでも学校が必要なのは、単に勉強を学ぶだけではないからです。集団生活を通じ、社会に出ても一人前の社会人として困らないよう、人間的な側面で学ぶことがたくさんあり、教師はそれを教え導く立場なのです。ときに厳しく、ときに諭す。そして子どもたちへの深い愛情がその源になければいけないでしょう。

仰げば尊し」の二番では、「身を立て 名を上げ やよ励めよ」とあります。立身出世などという言葉は死語と化していますが、自立し、できるならば名を上げ、そのために常に努力し勤勉に暮らすことは、令和の時代にあっても大切ではないでしょうか。

言葉が古いというだけで切り捨てるのではなく、その精神を大切にし、子どもたちに噛み砕いて教えることこそ、わたしは重要だとさえ思います。

 

兵庫県の小学校で、傷害器物損壊強要に該当するような行為を受けた小学校教師が、精神的な苦痛で休職に追い込まれたというニュースが先日来報じられています。同様の被害を受けた教師が、他にも数名いるそうですね。あろうことか、その加害者が、同じ学校の教員だったと言い、その数々の愚行は、記事を読むだけでも腹立たしい限りですが、30~40代にもなって、このような愚行を行う人間が、子どもたちを教え導くなど到底無理だと思います。言葉だけでなく、日頃の言動でも、ときには背中でも、子どもたちにあるべき姿を教えなければならない立場にありながら、自らがいじめをしているのは論外です。小学校で学びましたね。「自分が相手の立場なら どう思う?」という、ごく基本的なことさえも理解していないのですから。

 

こうして、ごく一部の、本当に一部の、非常識な人間の愚行により、その職業全体が批判されるべきでは無いと思います。多くの教師は、日々大変な想いをしながら、教育に当たっているのを、(知人や親戚に教師も多いので)知っています。

こうした報道を見るにつけ、師たる者はを正して欲しいと思いますし、わたし自身も道徳観や倫理観を、今一度見つめ直す必要があると感じました。

昔のことだから、と捨てるのではなく、今に活かすべき教訓ではないでしょうか。