スポーツ28 ユニフォームを脱ぐとき

9月25日 水曜日 スポーツ28

 

こんばんは。

 

2019年9月21日、セントラルリーグは一足早く、読売ジャイアンツ優勝を決めました。ペナントレース終盤で2位 横浜DeNAベイスターズ直接下しての優勝ですが、今日はその話ではありません。遡ること2か月半ほど前、3連覇中の広島東洋カープとの対戦、ベンチ入り選手1名を残すのみとなった総力戦サヨナラ勝ちで制した試合、原監督が遠くを見つめながら発したのは、「キムタクがいればね。拓也聞いてるか!」という言葉でした(7月4日 対広島戦後)。キムタクとは、日本ハムドラフト外で入団、出番を求めて複数のポジションをこなすマルチプレイヤーとして活躍し、日本ハム→広島→巨人と渡り歩いた木村拓也さんのことです。巨人の内野守備走塁コーチだった2010年4月2日の対広島戦の練習中、シートノック中に突然倒れ、5日後に息を引き取りました。死因はくも膜下出血によるもので、享年37歳という、あまりにも若い死でした。

 

広島、そして原監督という繋がりから、もう1人思い出すのは、赤ヘル軍団炎のストッパーとも言われた津田恒実さんです。彼が生涯最後の登板を果たしたのは1991年4月14日、1点リードの8回、先発した北別府学投手の後を受けて登板したものの、ピンチを招き、当時、読売ジャイアンツ4番だった原監督に同点打を浴びるなどして敗戦投手となりました。その前から続いた原因不明の頭痛は、実は取り除くことができない位置にある、悪性脳腫瘍でした。引退後は九州に移り、療養に励みましたが、1993年に、32歳の若さでこの世を去ったのでした。

 

プロ野球の世界には、「自分でユニフォームを脱ぐ選手」と「ユニフォームを(球団に)脱がされる選手」がいるとは、元中日の落合博満氏の言葉ですが、自分でユニフォームを脱ぐ選手の中には、完全燃焼して引退時期を決められる選手(落合氏の指すであろう意味)のほかに、病などでやむなく脱ぐ決断をする選手がいるのかもしれません。

 

今年、2人の選手が引退を決断し発表しました。

一人は広島東洋カープ赤松真人外野手、もう1人は阪神タイガース横田慎太郎外野手です。赤松選手は走塁守備で活躍しましたが、2016年シーズン終了後に受けた人間ドックで胃がんが発見され、2017年早々に胃の半分程度を摘出する手術を受けました。しかし、術後にリンパ節への転移が認められ、さらに抗ガン剤などの治療が続きました。ようやく1軍復帰となったのは2017年も優勝目前となった頃、2018年、そして今年もほぼ2軍での生活が続き、引退を決断しました。

かたや横田選手は、まだ24歳です。個人的には、将来の阪神レギュラーを担う選手になるだろうと予想していた矢先の2017年、頭痛を訴えて精密検査を受けた結果、脳腫瘍であることが判明し、そこから2年半の治療生活が続きました。その後遺症で、球が二重に見えたり、自分の打球が見えないことから、引退を決断したそうです。

 

 

赤松選手の引退会見で「生きているだけでいいんだ」という言葉がありました。それはきっと本心だと思います。一方で、ユニフォームを脱がざるを得ないことは、きっとお二人とも不本意でしょう。しかし、病というと闘い、そして打ち勝ったお二人には、残りの長い人生という未来が待っています。選手としては無念でしょうが、その経験が今後の人生にさらに生かされることを願って、お疲れ様でしたと言いたいです。