温故知新25 繋がり

8月19日 月曜日 温故知新25

 

こんばんは。

 

今年のお盆休み、少し早めに徳島県に行きました。ちょうどこのブログで「魅力度低い徳島県」を特集していた頃です。

 

実は仕事の関係で、初めて会うお客様にご挨拶するべく、徳島県神山町に行きました。神山町徳島市中心部から路線バスで1時間ほど。バスは、市の中心部を外れるにつれ、こんな狭路を・・・と思うほど狭い空き家の間をすり抜けて行きます。

途中、かつて実家のあった付近を通りながら、35年程前に親父に連れられて水浴びに行った河原を見たり、小学校の散歩でどんぐりを拾った小路を見て、懐かしみました。

その風景は、35年という時間が経ったとは思えないほどにそのままで、変わらずに残ってくれていたことが嬉しくさえありました。

 

バスが神山町に着き、ここで降りるの?と思う狭路脇の古い商店の前で下車し、山道を歩くことにしました。

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町の入口には「木のまち神山」という案内が立てられています。神山町を訪れたのは平成元年以来ですから、実に30年ほど前以来になります。

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当時は当然、道の駅など無かったですが、夏の里山といった風情の景色が広がっていました。とんぼが飛び、清流が流れ、とにかく長閑な時が流れています。

 

そしてお客様との面談です。

偶然にもわたしと同い年の方でしたので、ランチをしながら話は盛り上がりました。なんでも、神山町が推進する移住プロジェクトに参加し、4年ほど前に東京から移り住んだといいます。その方ご自身は徳島の出身で、田舎暮らしが嫌で大学から東京に出たそうですが、再び田舎の良さに魅せられて徳島県Uターンしたのだとか。

もっとも、同じ元県民から見ても、市内中心部出身なのに敢えて神山町とは思いましたが、その自然の豊かさや時間の流れを見ると、都会では得られないものが詰まっていることも確かで、子育て環境として選んだというのも理解できなくはありません。

 

そして、県が町と一体となって移住プロジェクトを推進する中で、少しずつ都会からの移住者も増加傾向にあると言います。ポイントは、この田舎の山村に光ケーブルを張り巡らせたことでした。都会ではあり得ない程にサクサクと通信が繋がることで、敢えて都会のオフィスに構える必要のないIT系技術者や企業が、神山町に移住したり、サテライトオフィスを設ける事例も出ています。実際、わたしがお客様を待っていた喫茶店でも、どこからかの視察団がミーティングをしていました。

 

こうして移ってきた企業が税金を落とす、学校開設に資金提供する、若い方が移住して町が活性化する、本来の町の産業である林業に従事する若者も増える、県も協力して市内中心部からのアクセスも改善する、という好循環が生まれていました。

残念ながら、消費者庁の神山オフィス移転はなりませんでしたが、それでも民間レベルでは着実に町の若返りを肌で感じることができました。

 

まるで時が30年止まったかに思えた神山町は、光ケーブルが繋がったことで大きな魅力を備え、移住者と元住民の繋がりも強いと言います。過疎化に苦しんだのは過去の話となり、今は好循環の中で活性化に繋がっているのです。

視点を変えたとき、今まで見えなかったモノが見えることはあります。古いと切り捨てるのではなく、新たなピースを一つ加えることで、まるでオセロの色が変わるように、どんどんプラスに繋がっていくことがあるのだな、と感じました。

 

余談ながら、面談したお客様、実は小学校時代の友人が進学した鳴門教育大学の附属中学校での友達、つまり友達の友達だったということが判明し、田舎ならではの世界の狭さと、それゆえの繋がりの強さも実感したのでした。

 

わずか3時間ほどの滞在でしたが、なんだか懐かしく、なんだか目からウロコが落ちたような、不思議な時間がゆっくりと流れて行きました。

こうした暮らしや人生観もあるのだな、と感じた神山町の温故知新でした。