時事の戯言56 どこのこととは言わないが

7月8日 月曜日 時事の戯言56

 

こんばんは。

 

いけないなぁ・・・とは思うのです。とかく不平不満を抱けば、眉間に皴が寄り、いつしか心まで貧しくなる気がするので。だからこそ、「時事の戯言」をリニュアルし、古き良きことから未来を見つめ直す、未来志向のネタ「温故知新」としたのです。

しかし、どんなに未来志向と思っても、現状や過去への不満があれば、未来に向かえず、つい戯言を並べたくなるのは、個人だけではないようです。

 

わたしは基本的に、誰とでも仲良くするべきだと思いますし、どのような思想であれ上手に付き合うことが大切だとも思っています。したがって、あまり嫌悪感を抱かないようにと(意識的に)心掛けてもいるつもりです。

 

しかし、鬱陶しいという言葉が適当なのか、生理的に受け付けないというべきなのか、残念ながら未熟なもので、それを上手にオブラートに包む言葉を知らない自分も嫌ですが、ニュースを見たり新聞を読んでいて、そうした感情を抱く時事ネタがあります。

 

解釈が違うということは、個人同士でも起こり得ることです。

しかし、ある程度事実に基づいて見たとき、解決済のことを蒸し返すのは良くないと思います。”それはコチラで引き受けるから”と解決を図った過去を棚に上げ、蒸し返し、コチラからの接触の一切を放置しながら、批判されそうになると過去に「非常識」とまで批判していた意見を”その場しのぎ”でぶつけてくるような人とは付き合いたくありません。しかもその案を述べてからは「門戸は開いている」「真摯に検討すべき」と言い放ち、あたかもボールがコチラにあるかのような横柄な態度には、開いた口が塞がらないというか、どれだけ面の皮が厚いのだろうと感心します。

しかも、その場しのぎで出した案は、よく似たカタチで約束を反故にされた別案件に似ているので、コチラもおいそれとは乗れないですよね。

 

あまりに真摯な対応に欠けるため、コチラが身構え、接触を慎重にすると言ったところ、今度は”反省していない” ”高圧的だ” ”世間では通用しないぞ”とばかり騒ぎ立てる始末ですから、被害者意識が非常に強いと言うか、たしかに過去は過去でそうであったとしても、とても手を携えて未来に向かいましょうと言える間柄でないことは確かです。

 

きっと、これからも事ある都度に蒸し返しては、コチラのすることなすことを批判するでしょうから、冒頭書いたとおり鬱陶しいという表現しか思いつきません。

それならば、お互いに関わりを持たずにおきましょう、という「丁寧な無視」が大人の対応なのではないでしょうか。

 

わたしは基本的に、どこだから、誰だからという区分で嫌うことは好みませんし、きっと冷静にマトモに理解している人も多いのだろうと信じたいです。

しかし、かくも面倒くさいことが続くと、纏わりつくなと思ってしまう心貧しい爺であることを嘆くのです。40歳超えて尚、こうした感情を持つ自分を恥じるべきなのかもしれません。鬱陶しさは湿気の多い梅雨で十分と思ってしまうのでした。

 

すみません、何のこと、どこのことか明記してませんから、意味不明な文章でした。