MASA日記

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【特集】わたしが選ぶ何でもランキング③

4月24日 水曜日 【特集】

 

こんばんは。

「わたしが選ぶ何でもランキング」は今日が折り返し地点となりました。喫茶店、GWの過ごし方に続く今夜は、わたしが応援する中日ドラゴンズのネタです。

1989(平成元)年~2018(平成30)年の30年のドラフト指名選手を一覧にしてみました。平成元年のドラフトで1位指名を受けた与田剛投手が、平成最後のドラフトで、新監督として根尾昂選手を引き当てたのは何かの縁を感じます。

他にも、現在も活躍する選手、引退した中でもチームを支えた選手が多数いますが、今夜は敢えて、活躍できずに引退・退団した選手のランキングを作ってみました。

誰しもプロの扉を叩くとき、未知なる可能性とプロレベルの技術を持って入団しますが、育成が下手とされる中日で開花しないまま(あるいは開花しかかったものの覚醒に至らないまま)去った選手も多くいます。わたしが期待しただけに残念だった選手のランキングは以下のとおりです。

 

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第5位 瀬間仲ノルベルト(2002年ドラフト7位)

ブラジル出身で、中学時代はオールブラジルの4番打者も務めた強打者でした。高校通算58本塁打のパワーは魅力的で、密かに期待を寄せていました。

日本で5年間の居住歴という要件を満たさず、初の外国人選手枠でのドラフトという点でも注目されましたね(後に高校生は要件が廃止され、外国人枠から外れました)。

結局一軍出場できずに2005年オフに戦力外通告を受け、トライアウトでも声が掛かりませんでした。引退後は群馬県大泉町に移住し、語学学校ブラジル料理を開くなど、経営者としての才能を開花しているようで、嬉しいです。

 

第4位 櫻井好実(2002年ドラフト3位)

同じく2002年のドラフトから、櫻井好実選手です。コチラも同じくブラジル出身ですが、瀬間仲選手よりも日本語や日本の生活に馴染んだ選手でした。

そしてパワーヒッターという点でも瀬間仲選手と同じ傾向にあり、たしか当時のドラゴンズ応援番組では、その背筋力が高校生離れしていると話題だった気がします。

2004年就任の落合元監督からも「右の4番打者」として期待を掛けられたのですが、結局は一軍出場無いまま戦力外通告を受けました。おそらく、当時の中日はパワーヒッターを欲したものの、広いナゴヤドームを本拠地とするため、守備力優先の陣容となったのでしょう。現在は背筋力を活かしてホームランを量産する打者も多いため、あと10年遅ければ違った展開になったかもしれませんね。

現在は沖縄米軍基地内で消防士をしているという情報があります。

 

第3位 前田章宏(2001年ドラフト1位)

2001年のドラフトでハズレ1位指名を受けた期待の捕手でした。

地元出身で、幼い頃から中日ドラゴンズの大ファンとして球場にも通っていただけに、中日からのドラフト1位指名は感無量だという記事を読んだ記憶があります。

10年以上在籍し、通算54試合で1軍出場しましたが、2013年に戦力外通告を受けました。生え抜き強肩強打の捕手を、と願うファンも多かったと思いますが、時期としては谷繫捕手がFA加入し、二番手捕手も足りていた時代であっただけに、出場機会に恵まれずに終わってしまったのが残念でした。競争の世界は厳しいですね。

しかし、戦力外通告後は他球団での道を模索せず、ドラゴンズの2軍バッテリーコーチを経て、現在はブルペン捕手を務めています。

幼い頃からのドラゴンズ愛を貫いてくれているのは、嬉しいことです。

 

第2位 福沢卓宏(1999年ドラフト2位)

1999年は平成最少の3名のみの指名でした。それも3名いずれも投手であり、1位の朝倉健太投手(前投手コーチ)、3位の山北茂利(現在はスポーツ用品店勤務)ともに活躍しただけに、2位の福沢卓宏投手が活躍できなかったのは残念でした。

個人的には、夏の甲子園朝倉健太投手と投げ合った試合を見て、福沢卓宏投手の方が活躍すると思っていたものの、二軍戦での暴投でイップスに陥り、2003年で退団となりました。引退して3年は寝床も定まらない生活を送ったそうですが、現在はBCリーグ福井ミラクルエレファンツのコーチとして、野球に携わっているとか。

やはり野球への想いが強いんですね。独立リーグのコーチで活躍して欲しいです。

 

第1位 堂上剛裕(2003年ドラフト6位)

2003年ドラフト6位で指名された、親子鷹ならぬ親子竜選手で、弟は現在もドラゴンズに所属する堂上直倫選手です(父親は元中日ドラゴンズ投手)。

愛工大名電高校から入団し、強打の外野手として期待されました。通算400試合以上に出場していますから、今まで挙げた選手より、はるかにレギュラーに近い存在でしたが、黄金期を誇ったドラゴンズのレギュラーの壁は厚く、打撃だけでは生き残れなかったのが悔やまれます。あまり大きくない体でしたが、ドニキの愛称(堂上兄貴の略)で親しまれただけに、戦力外通告を受けて巨人に移籍したのは残念です。

現在も巨人二軍で打撃兼外野守備コーチを務めていますが、心にはドラゴンズブルーが流れていて欲しいと願うのは、わたしだけでしょうか。

あの豪快な打撃から放つホームラン、わたしは弟よりも好きでした。

 

以上、活躍できなかったドラゴンズの平成ドラフト選手ランキングでした。