温故知新8 温故知新×忘れない3・11 記録

3月4日 月曜日 温故知新8

 

こんばんは。

 

来週月曜日で、東日本大震災発生から8年を迎えます。8年前の14時46分、宮城県沖を震源とする巨大地震が発生し、引き起こされた津波による犠牲者も多数出ました。

8年という歳月の中で、被災したわたし自身の記憶も風化が進み始めていますが、やはり決して忘れてはならないものだと思っています。その薄らぎ始めている記憶を蘇らせるべく、記録を辿ります。月曜日テーマは「温故知新」ですが、まさに当時のことをもって将来に活かす、その意味でも東日本大震災の教訓としたいと思います。

 

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震災当日はカメラも無く、スマホの充電も切れかけていたため、写真を撮影することはできませんでしたが、わたしが住んでいた地域は2日後に電気が復旧したこともあり、記録を残すべく街に出ました。

これは震災発生から2日後の2011年3月13日、JR仙台駅の西口1階です。地面が割れ、あるいは波打っているのが確認できます。地震の規模の大きさが分かります。

 

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しかし、わたしが住んでいた宮城県仙台市中心部は、まだ人の暮らしができました。

2011年4月28日に訪れた、岩手県宮古市です。山を挟んで内陸側は、見た限りでは家屋も残存していたものの、海側の惨状は目を覆いたくなるものでした。

見渡す限り家屋は無く、その建材であったものが広がる景色は、そこが住宅地であったと説明を受けなければ到底想像のつかないものでした。

右下にある鉄骨剥き出しの建物は、工場の内部を撮影したものですが、鉄骨でさえも地震津波の猛威の前には耐えられなかったのでした。工場の方にお話を伺うと、敷地内に津波で流れてきた軽自動車の中には、幼い子ども2人が亡くなっていたそうです。

 

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震災発生から4か月経過した2011年7月20日の、岩手県陸前高田氏です。

夏の暑さも増す中で、緑は息を吹き返していますが、人の暮らしはまったく回復していないことが分かります。お話してくださった方によれば、どこから手を付けて良いのか分からないと言っていましたが、本当にそうなのだと感じました。

 

以前も書いたと思いますが、大震災が起きれば、すべての「普通」が普通ではなくなります。食べ物があって当たり前、電気はついて当たり前、車は走って当たり前、電話は通じて当たり前、家族や友人はいつでも会えて当たり前。こんな「普通」の生活が、いかに尊いものであるか、その瞬間までわたしは知りませんでした。

そんな「普通」への感謝の念、時間の経過とともにわたしも含めて薄くなっています。

いつかまた、地震は来ることでしょう。

そのときに備えて備蓄する、避難情報が流れれば(たとえ誤報でも)即座に避難する、津波が来るときは横移動ではなく縦移動で高い場所を探す、万一に備えて家族間で避難場所などを示し合わせておくなど、東日本大震災をきっかけに学んだことを活かし、そしていつまでも忘れずにいることが、犠牲になられた方々への供養にもなると思います。今ある日常に、感謝。あと1週間で、あの日から8年目がやってきます。