温故知新5 親子

2月11日 月曜日 温故知新5

 

おはようございます。

 

女優・市原悦子さんが永眠されたのがほぼ1か月前、1月12日のことでした。わたしにとっての市原悦子さんと言えば、常田富士男さんとの温かい語り口が印象的な「まんが 日本昔ばなしでした。お二人で登場人物の声をすべて担当され、ときに優しく、ときにコミカルに、ときに諭すような語りは、一級品だとさえ思います。

 

そして、その題材となる民話などの多くに、真面目に働きなさい、他人に親切にしなさい、友達と仲良くしなさいなど、教訓めいたことが散りばめられています。大切なのは、子どもが何となく見ているだけでなく、その傍らで、親が解説を加えながら、道徳や教養を教えることでした。その意味で、親の読み聞かせ、歌い聞かせなどは、わたしは大切な幼児教育なのだと今も思っています。

 

わたしは男女同権当たり前、男女平等当たり前、女性の社会進出も実力相応に評価して当たり前だと思っています。女性の主婦率が下がっているなら、男性が育児に参加することも当たり前です(2人で作った子どもですから)。ただ、唯一違うとすれば、男女には体の性差があり、子どもは父親と母親に求めるものが違うことでしょうか。

その点で、どうしても母親が特に幼少期に子どもと接する時間が多いのは、これもまたやむを得ない話なのだと思います。

 

しかし時代は進みました。国は労働力確保のため、個人はお金を稼ぐため、共働きの家庭も比較にならない程に増えました。もはや育児は母親さえも時間が無く、小さいうちから託児所などに預けるという家庭も少なくありません。

わたしはそれも今の時代、やむを得ないことと思います。ただ、契約として預かった何人もいるうちの一人として見るのと、直接自分の子を見るのとでは、目の届き具合に違いが出てしまうでしょう。だから、せめて我が子と接するときは、しっかり自分の子どもと向き合って、父親母親問わず、幼児教育をしたいと思っています。

 

ただ、街中で見ていると、大人も忙しいのです。スマホ片手にベビーカーを適当に前後させている人、泣いているのを黙らせるために怒っている人、子どもを連れているのに赤信号を平気で横断する人、どれも大人の事情優先で、子どもに目が向いていません。ああいう小さな積み重ねが、子どもへの教育機会を奪っている気がするのです。

 

親は子を想い、子は親を想う、それが愛情、いたわり、敬老の念などを生み、日本人の歴史の糸を紡いできたはずです。親のストレス発散のために暴力を受ける子、口論で親を殺す子、子が生まれて育つ過程の1日の積み重ねの中で、親子関係が破綻に向かって動いているとすれば、こんな悲しいことは無いでしょう。

もっと親子の時間・空間を大切にして欲しいな、テレビの痛ましい事件を見るにつけ、そう思うのはわたしだけでしょうか。

 

そして、少子高齢化に歯止めが掛からない日本。奇跡的な確率で生まれた命を無駄にすることの無いよう、それこそお年寄りの時間を、幼児教育にも活用できないものか、とも思います。お年寄りの間や知恵は、きっと幼児教育に役立つはずです。

市原悦子さんの語りを思い出しながら、日本という国の歴史を紡いできたのは日本に住む人たちだと思う、今日は建国記念日の朝でした。