温故知新4 発言

2月4日 月曜日 温故知新4

 

こんばんは。

本日の「温故知新」は、発言について考えてみます。発言とは、まさに言葉を発することですが、言葉に出るということは、内心そう思っているということです。

人は時として、勢いに任せ、あるいは酒の力を借りて、普段はひた隠している胸の内を言葉に乗せて発します。そしてそれがときに非難を受け、釈明や謝罪に追い込まれることにもなります。たとえば、政治家の方々の例を見れば、枚挙に暇は無いですね。

この非難の対象は、2つあり、その言葉の根源となっている内心の思想や信条の場合と、発した言葉の不適切さや稚拙さの場合に分かれます。

政治家の方が多く非難されるのは前者で、”まるで戦前思想を崇拝しているかのようだ”とか”未だに性差別の意識が抜けないのか”といった強い批判に晒されたとき、”誤解を招くような表現をした”とか”真意が伝わらなかった”と後者の問題にすり替えようとするのですが、一度発した言葉は前言撤回したとしても、なかなか消えないわけです。

そして熱心なマスコミは、過去の失言集を纏めたり、講演や執筆から内心にある思想・信条との共通項を見つけて追及し、ときに辞職に追い込んだりしますね。

ただ、正直なところ、思想や信条は自由であり、現行憲法下でも保障されているわけで、具体的な危険を帯びた言動にならない限りは制限されるべきではないですし、いくら釈明しても本人の内心はそう簡単に変わるはずもありません。

こうして前者の問題である場合は、その無限ループが繰り返され、失言集となり、”この人はこういう人だ”と世間に見放されるわけです。しかし、それは仕方ないことで、そう思うなという方が無理なのかもしれません。

 

わたしが思うのは、後者の問題は改善しようと、ということです。言っていることは問題が無くとも、その表現の仕方、言葉遣い一つで、その人となりが疑われるからです。

たとえば、最近ではNGT問題で発言した某メンバーの方のtweet

「メンバーはそれ以上関係ないし叩いてる奴ら全員それこそ罪だし、酷いことしてるからね。気づけよいい加減。メンバー信じられねえのかよ応援してたんじゃねえのかよ」

というものがありました。普段どんなに可愛さをアピールしていても、こうした一言で、一気に興ざめしてしまうこともあるでしょう。

某イケメン俳優の方がtweetで、具体的に相手や状況を記していないまでも

「写真撮ってんのに対応冷たいとかマスコットキャラクターじゃねーんだよ。」

と呟いて、日頃の他の行動まで叩かれていました。

そして、これらの方々は残念なことに、炎上の常連として知られるところになるわけです。言いたいことはなんとなく理解できますし、有名人であっても一人の人間ですから、どのような思想や信条を持とうが自由だと思います。

ただ、特に人から見られる商売である以上、あるいは人に対する影響力がある商売である以上、やはり慎んだり、よく考えて表現すべきではないでしょうか。

 

そしてその発言の悪さ、稚拙さは、詰まるところその人の資質として見られるわけですから、損をするのはその人自身なのです。

「言葉の乱れは心の乱れ」「服装の乱れは心の乱れ」などと、昔、教師が言っていましたが、発信手段が広がった現代、発信の自由度は格段に高まっています。だからこそ、そうした乱れが、糸の綻びが見え始めた段階で、周囲や本人が軌道修正すべきなのだと思うのです。昔の人の言葉には、それなりに一理あるものだと思う今日この頃です。