マニアな小ネタの世界82 背番号

2月1日 金曜日 マニアな小ネタの世界82

 

こんばんは。

昨日まで2日間、不定期テーマ「スポーツ」で、中日ドラゴンズの私的展望を書きましたが、本日の「マニアな小ネタの世界」は、背番号に因んだネタで、球春到来のプロ野球中日ドラゴンズのことを書きたいと思います。

 

2004年に就任し、指揮を執った8年間すべてAクラス、リーグ優勝4回、リーグ2位からの日本一1回と、中日ドラゴンズの黄金期を築き上げた落合博満元監督は、オフになると背番号シャッフルを頻繁に行いました。背番号が定着しているベテランには同じ番号を与える一方、活躍した若手には若い番号、土俵際一杯に追い詰められ後が無い選手には99番を与えるなど、モチベーション管理や監督評価の暗示にも使っていたフシがあります。また、山田久志元監督時代にFAで中日に移籍し、背番号7をつけていた谷繫元信捕手に対しては、「らしくない」という理由で27に変更させたり、中日では歴代のエースナンバーとされる20を軽視し「エースは18番」と述べるなど、自身の思う”らしい”背番号観を持っているのも面白いと感じていました。

 

そんな中日ドラゴンズの背番号、昨年までの平成の30年間に限って調べてみました。

■ 最も長く同一選手が背負った番号BEST3

第1位 34(山本昌広投手)・・・27年間

1983年ドラフト5位で入団した山本昌広(登録名 山本昌)投手は、プロ1年目の1984年から引退した2015年まで、32年間のプロ生活を背番号34で過ごしました。

入団前年までは小松辰夫投手が背負っていましたが、同氏が中日のエースナンバー20に変更となり、34は空き番となったのでした。その年のドラフトで1位から順に若い番号を充てていき、偶然にも山本昌投手が34となったのですが、34と言えば日本球界では金田正一投手など、左の大投手が多い印象の背番号です。

引退時、ファンからは永久欠番、あるいは実質的な半永久欠番を望む声が上がったのですが、当時GMだった落合博満氏はあっさりと福投手に34を与えるなど、そのドライさには批判も巻き起こりましたね。

ちなみに平成時代に限れば、山本昌投手の34番は27年間となります。

 

第2位 2(荒木雅博選手)・・・23年間

昨年、惜しまれつつ引退した荒木雅博選手の背番号2が、第2位です。

1996(平成8)年から2018(平成30)年の23年間背負いました。この番号、今季から阪神タイガースで指揮を執る矢野燿大新監督が中日時代につけていたものを引き継ぎました。矢野捕手は背番号38に変わり、その翌年にトレードで阪神タイガースに移籍したため、背番号2をつけていた記憶が薄いですね。

それにしても荒木選手を見るたび、継続は力という言葉が浮かびます。正直、ドラフト1位とはいえ外れ外れ1位での入団で、打てない選手の印象でした。パワプロで遊んでいたわたしは、サクセスで良い選手ができるとすぐ、荒木選手と入れ替えていたのですが、やがてアライバで中日黄金期を支え、今季からは二軍コーチに就任と、努力と忍耐の人だなと感じます。まさかの2000本安打、感服です。

あのときパワプロで入れ替えてスミマセンでした。いぶし銀な存在、将来の1軍指導者としても期待しています!

 

第3位 3(立浪和義選手)・・・21年間

ミスタードラゴンズこと立浪和義選手は、ルーキーイヤーからレギュラーで活躍し、人気実力ともに中日を牽引した立役者でした。先般、野球殿堂入りも果たし、ファンから嘱望されている将来の監督への意欲も示しましたね。

立浪選手が背負った背番号3は、その前年まで在籍した平野謙選手から受け継いだものでした。それなりに長くファンをしている中で、平野選手が3番だったのか、と感じましたが、それくらい立浪選手が長く活躍し、背番号3を自分のものとしたのですね。

平成の30年間のうち21年間、立浪選手は背番号3を背負いました。

 

こうして見ると、やはりと言うか、スター選手ほど同じ番号を背負っていますね。背番号が選手の代名詞であることが、よく分かります。

 

■ 最も多くの人が背負った番号BEST3

最も多くの人が背負ったと聞けば、良いように感じますが、定着せず入れ替わりが激しかった番号という意味では、良くないのかもしれません。

第1位 42・・・17人

日本人が嫌いやすい(42=死に)番号のためか、外国人選手が多くつけています。そのため、入れ替わりが多いのも仕方ないところかもしれません。

昨年から在籍のアルモンテ選手含め14人が外国人選手です。最長は1990(平成2)年から1993(平成5)年の清水雅治選手と、2009(平成21)年から2012(平成24)年のブランコ選手の4年間でした。

 

第1位 60・・・17人

同率1位で背番号60も17人いました。昨年、先発の一人と期待されながら、見事に期待を裏切ったジー投手がつけていたのも、この番号でした。42は外国人が多く、投打で活躍した選手も多いのに対し、同じ17人でもこの60番は、ファンでもあまり印象を持たない選手が多い気がします。

 

第3位 7・・・15人

意外です。若い背番号はチームの顔、主力選手がつけると思っていたので意外です。しかし、60番と違い、移籍してきた主力選手が多くつけているようです。

韓国球界から来て活躍した李鍾範選手や李炳圭選手、FA移籍当初の谷繫元信捕手、ジャイアンツから移籍した川相昌弘選手、横浜から移籍の佐伯貴弘選手、中日復帰を果たした山崎武司選手などが代表です。

また、生え抜きでは、森野将彦選手が2回にわたり背負ったことも印象的でした。ちなみに、今季からは期待の根尾選手が背負います。生え抜きショートで背番号7と言えば、ウーヤンこと宇野勝選手が背負った背番号7、根尾選手での固定を期待します!

 

■ 最も背番号が変わった選手

ファンの間では有名な話です。背番号シャッフルの一番の犠牲者かもしれません。森野将彦選手です。その遍歴を見てみましょう。

1997年~1999年 背番号7

2000年~2001年 背番号8

2001年~2003年 背番号16

2004年~2005年 背番号8

2006年~2009年 背番号31

2010年~2013年 背番号30

2014年~2017年 背番号7

これに2018年のコーチとしての背番号75もあります。選手時代に限っても7個の背番号を背負った人は、そういないでしょう。背番号7と背番号8は、いずれも返り咲きまで果たしています。先日、森野さんにサインをいただきましたが、書かれた番号は75でした。大切にしたいと思います。

 

■ その他

大きい番号では、背番号55が安定感ありました。

1989(平成元)年~1997(平成9)年の大豊泰昭選手(故人)は、脅威の左打者として活躍しました。特に山崎武司選手、中村武志捕手と組んだWクリーンアップ時代の破壊力は抜群でした。

現在は和製大砲の呼び声高い福田永将選手が、2007(平成19)年から背負い続けています。もう少し楽に構えて打てないものかと思ってしまいますが、まるで儀式のような一連の動作から生み出すホームランは魅力です。今季は30本塁打狙って欲しいものです。

 

中日ドラゴンズの背番号では10番と15番が永久欠番です。

調べてみると懐かしい選手も多くいました。皆さんが応援する球団の背番号、調べてみると面白いかもしれませんよ。以上、「マニアな小ネタの世界」でした。