MASA日記

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【特集】平成30年×乗り物

12月18日 火曜日 【特集】

 

こんばんは。

年末【特集】は平成の30年間と曜日テーマのコラボレーションでお届けしています。火曜日は「乗り物」ですが、「乗り物」で30年という時代を遡ってみます。

 

■ 新幹線

2018年現在、国内で営業している新幹線は、以下のとおりです。

【フル規格】北海道、東北、上越、北陸、東海道、山陽、九州の7路線

ミニ新幹線】秋田、山形の2路線

このうち、30年前の1989年時点で開業していたものは、東北、上越東海道、山陽の4路線と、半分以下でした。幹線である東北新幹線でさえ、上野~盛岡の区間だけであり、東京~上野は1991(平成3)年、盛岡~八戸は2002(平成14)年、八戸~新青森は2014(平成26)年まで待たなければなりませんでした。

新幹線が列島全体に張り巡らされたのは、実はこの30年の間だったことが分かります。

それ以前からある4路線でも、この30年は大きな進化がありました。

東海道山陽新幹線

1992(平成4)年、最新型の300系導入で誕生した「のぞみ」は平成の東海道新幹線の象徴です。当初は限定的だったのぞみは、今や、「ひかり」「こだま」を凌駕して主流となっており、日本の新幹線の顔と言っても過言では無いでしょう。

その「のぞみ」に使用される車両は300系に始まり、現在はN700S系が最新となっています。その間には、JR西日本が開発した500系という異端児もありましたね。

東北新幹線

石川さゆりさんの名曲津軽海峡冬景色」では、夜行列車は上野発で、これがかつての北行旅客列車の日常でした。北の玄関口は上野という不文律は、平成初期の新幹線でさえも守られていたのです。しかし、先程触れたとおり、現在では東京~新青森が開業しており、とても便利になったのが30年間の進化でしょう。

反面、昭和風情を求めれば、なんだか味気ない気持ちもしますが。

上越新幹線

本来は大宮起点の上越新幹線ですが、東北新幹線と同様に1991(平成3)年からは東京駅まで乗り入れています。そんな上越新幹線は、新幹線通勤やスキーブームなどに乗った、大量輸送を可能とするMax車両が印象的でした。オール2階建新幹線は、E1系E4系と製造され、2階の車窓からの眺めは良いと言われていました。しかし、北陸新幹線による長野~金沢開業に伴う上越新幹線の輸送体系見直しなどもあり、Maxは現在E4系がわずかに残るのみで、2020年度末までにE4系置き換えられると発表されています。Maxの栄枯盛衰は、上越新幹線の30年の歩みを象徴しているかのようです。

 

■ 高速バス

東京駅八重洲口/鍛冶橋駐車場新宿駅バスタ新宿などに足を運べば、日本各地からの長距離バスが慌ただしく発着しています。福岡の西鉄天神バスセンターは、九州島内を中心とした高速バスの主要拠点として、多くのビジネス客や観光客で溢れています。

時代はまさに、高速バス全盛といった印象を受けます。

しかし、平成の始まった1989年当時は、品川~弘前の「ノクターン号」、新宿~博多の「はかた号」、わたしの故郷・徳島からはバスごと船に乗り込む変わり種の「エディ号」など、長距離路線があったものの、今のような賑わいはありませんでした。

先程述べたように、新幹線は速達性が売りですが、それに応じて運賃も上昇しました。また、新幹線含む鉄道、航空機は夜間の運行が制限されます。高速バスは、生き残りの道として、①運賃の安さ、②夜に出て朝に目的地に着くというムダの無さ、③繁華街など航空機や鉄道が直接乗り入れない場所に直行できる利便性、を武器に現在の地位を築いた30年だったと思います。運賃面では、LCCや、新幹線の格安パックも登場していますし、高速バスは悲惨な事故を幾度も経験しているというマイナス要素を孕んでいますが、②や③のメリットは失われていませんから、今後も生き残ることでしょう。

高速バスの発展は、各地の高速道路の延伸も追い風となっており、今後どのような展開を見せるのか、興味深いと感じています。

 

■ 航空機

現在は、JALANA、それらに続くスカイマークエア・ドゥなどと、安さが特徴のLCC各社が共存する時代です。特にLCCは平成の後半の象徴でもあります。

1989年当時は、日本航空全日空日本エアシステムJAS)が三大航空会社でした。JAS、懐かしいですね。もっと遡れば、東亜国内航空と言ってましたよね。そんな日本エアシステムは2002(平成14)年、日本航空持ち株会社を設立し、2004(平成16)年にその歴史に幕を閉じました。

こうして誕生したメガキャリアの日本航空ですが、2010(平成22)年には経営破綻し、会社更生法の手続を申請するという驚きの時代もありました。

一方、JALと双璧を成すANAは、2003(平成15)年に公式の呼称を、「全日空」から「ANA」に変更・統一しました。今では見慣れた、特殊なラッピングを施した旅客機は、ANAの方が先取りして導入しました。

こうした大手二社に収斂された日本の国内航空会社でしたが、1996(平成8)年には、スカイマークエア・ドゥといった新規参入が認められ、航空業界に風穴を開けたのでした。さらにLCCが台頭すると、今ではLCC専用ターミナルができるなど、平成初期には想像できなかった図式が繰り広げられていますね。

 

 

航空機、新幹線、バスと振り返りましたが、それぞれに生き残るを模索して現在の状況が生まれています。安全性、正確性、サービス、どれが欠けても困ります。切磋琢磨で今後も繁栄して欲しいと願うばかりです。