MASA日記

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時事の戯言44 判例

11月12日 月曜日 時事の戯言44

 

こんばんは。

今夜の時事の戯言は、判例について取り上げます。”裁判は生き物だから””個別の事情があるから”裁判結果は確定するまで分からないとは言いますが、どうにも釈然としない判例というのが世の中にあるのも事実です。

司法制度も様々な苦難の道を歩んでいるようですが、プロの裁判官の出した判例で、わたし個人の感想として今一つ納得できない事例をいくつか挙げてみます。

 

■ 対向車線のクルマに過失認める

2015年4月の判例ですが、福井県内の国道を走行中の車両Aを運転していた大学生が、居眠り運転により対向車線にはみ出しました。

対向車線を走行していた2台の車両はこれを回避したのですが、3台目を走行中だった車両Bは回避できず衝突し、A車の助手席に乗っていた方が死亡しました。

事故形態を簡略化すると、以上のとおりです。皆さん、誰が悪いと思いますか?

この判決、当時一部報道でも騒がれたので、ご記憶ある方もいらっしゃるかもしれませんね。A車運転者はもちろん、なんとB車運転者にも損害賠償義務ありと判断しました。しかもその金額は約4,000万円でした。

たしかに、クルマを運転する際は、常に周囲の運行状況を注視しなければいけませんし、危険を察知すれば回避する必要があります。しかし、センターラインをはみ出してきたクルマに衝突された上に約4,000万円の賠償義務とは、個人的には納得できません。いわゆる、”もらい事故”ですから。B車の運転者にとっては、いい迷惑であり、事故の被害者という感覚が普通ではないでしょうか。

判決が用いた自動車損害賠償保障法自賠法)第3条では、運行供用者は

・注意を怠らなかったこと

・第三者に故意や過失があったこと

・自動車に欠陥が無かったこと

を立証しない限り、責任を免れないとしています。そして本件では、「前方には先行車が2台いたところ、これらの車両は(対向車)を回避していることから」B車運転者に前方不注視の過失があるとし、「より早く(対向車)を発見していれば、対向車線に回避する、その場で停止する、クラクションを鳴らすなどの措置を執ることも可能であり」重大な結果は避けられた可能性があるとして、B車運転者の過失を認めたのです。

この裁判官、クルマ運転しないのでしょうか。前方2台よりもA車との距離が遠いため、A車の異常な動きを察知するのは遅れるのが一般的でしょう。まして、より早く発見した場合は、「対向車線に回避する」方法もあったと述べていますが、その結果例えば、A車の後続車と衝突すればB車運転者が大きな過失を負うことになります。自分の車線をはみ出さないことで自分の正当性を守ることができるはずです。

この判例を前例とするならば、今後も増えるであろう逆走する老人のクルマなど、衝突された対向車の側で上記3点を立証できない以上、賠償しなければならなくなります。

わたしはこの判決、特殊性を感じます。A車は死亡した助手席の男性所有のクルマでしたが、A車の保険は家族限定の契約となっていました。しかし、A車運転の大学生は家族では無く、保険による補償がなされなかったのです。そこで遺族が対向車であるB車運転者に損害賠償請求を求めた経緯があるようです。

さすがに家族限定特約の契約ではA車の保険が使えないことは、さすがにこの裁判官でも分かるはずで、ならばと相手車には対人賠償の補償があるだろうと、結果ありきで理屈を駆使した結果が、こうした判決になったのではないか、と疑ってしまいます。

仮にそうであれば、家族限定をつけることで保険料を下げる選択したのは、他でもなく死亡した男性であり、その結果として生じた不利益も自身に帰するべきでしょう。

この件を出したのは福井地方裁判所ですが、その後この件が上訴されたかは不明です。個人的には徹底して争い、こんな理不尽な話がまかり通らぬよう願いたいのですが。

 

■ バドミントンのペアに過失認める

今度は最近です、2018年9月に出た判例です。バドミントンでペアを組んだ相手のラケットが当たりケガをした女性が、ペアの女性を相手取り損害賠償請求を起こした事案で、ペアの女性の責任を全面的に認め、約1,300万円の賠償を命じました。

事故形態を簡略化すると、以上のとおりです。皆さん、どのように感じますか?

判決では「被告は原告の動きに注意し、ラケットが当たらないように配慮すべきだった」と述べ、さらに「スポーツであることを理由に加害者の責任が否定されるのであれば、国民が安心してスポーツに親しむことができなくなる」とも指摘しています。

この指摘の前提には、過去の判例の中で、いわゆる”危険の受忍”の議論があります。スポーツに参加する中では一定の危険があることを承知しており、一方でスポーツの文化的価値を認める中で、ケガなどの危険が具体化した場合でも、それは自己責任として解決すべきという考え方です。

判決では、この自己責任という考え方に釘を刺しているわけですが、個人的に言えば、プレーの流れの中で約1,300万円もの賠償をしなければならないリスクを負うなら、”安心してスポーツに参加できなくなる”気がします。

本件では、ネット際で打ち返せなかった被害者が、処理を後方にいたペアの女性に委ねたようですが、その動きを被害者女性もしゃがんだりよけるなどして、自らのリスクを回避する必要があったはずです。

これが加害者の故意ならば、話は別ですが、あくまで一連のプレーにおける事故ですから、なんとも釈然としない気がするのはわたしだけでしょうか。

但し、本件は東京高裁の判決ですが、原審である東京地裁でも「原告も一定程度の危険を引き受けて競技していた」という理由で約780万円の賠償を認めていることから、加害者の側にも責任ありとされる素地があったのかもしれません。しかし全責任ありというのは、やはりスポーツの中では馴染まない気がします。

 

他にも違和感を拭えない判例は世の中にあります。下級審判例であったとしても、世の中の常識と相容れない(世の中で批判を多く受ける、世間知らずと揶揄される)判断を下すことについて、よく顧みる必要があると思います。

まぁ、表面上の判決を読んだだけの爺の戯言ですが。