MASA日記

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時事の戯言41 刑罰

10月22日 月曜日 時事の戯言41

 

こんばんは。

 

東京工芸大学の写真学科の学生6人が、法務省の許可を得て、関東地方の6か所の刑務所内を訪問して撮影した44枚の写真が、23日から公開されます(東京霞が関 弁護士会館 日曜休館 入場無料)。

美容師になるための職業訓練、一斉に横たわって受ける人工透析の治療、畳の居室、「誕生会」と書かれたカレンダー、運動場にむきだしの便器。すべてが「塀の内側」のリアルだそうです。撮影者の一人は、覆いの無い便器に、「さらし者」のように感じたと感想を語っています。おそらくそのとおりなのでしょう。

 

ところで、刑罰の意味については、様々な考え方があります。応報(行った犯罪に見合った苦痛を与える)、教育(犯罪者の更生・社会復帰を目的とする)、予防(刑罰を周知することで未然に犯罪を防ぐ)が主だったところでしょうか。

弁護士の方々と接してお話をすると、上記のうち、教育に主眼を置かれている方が多いです。受刑者がやがて社会に戻れるよう、更生を促すこと、社会は復帰した受刑者を温かく迎え入れ、二度と犯罪に走らぬよう見守ること。実は、わたしの知人にも一人、4年間の服役を終えて10年近く経過した人がいますが、いまだにかつての仲間と距離を置いて、あまり接点を持とうとしてきません。既に定職に就き10年、おそらくは反省をして、二度と過ちは繰り返さないと信じていますが、距離が生まれるのは事実です。また、一度前科があると、社会生活において不利益を被ることも事実ですね。

わたしは彼の犯罪を報道で知ったとき、とても愚かだと思いましたし、激しく憤りました。それでも出所して10年、その間に会ったのは1度か2度ですが、最近では彼の存在を受け入れる気持ちも生まれてきています。

 

しかし、わたしは基本的には刑罰を応報の観点で捉えています。今年、かつて社会を震撼させた新興宗教の事件で、死刑が執行されました。諸外国含め、死刑制度に反対する立場からは、受刑者の生命を奪う残虐な行為であると非難もされました。

たしかに、死刑という制度は、究極的な応報であり、教育の機会さえも奪うことは事実です。しかし、その受刑者に苦痛を与える死刑の執行を非難する前に、その受刑者が与えた被害者への苦痛や人権侵害が、どれほど酷いものであったかも考えるべきではないかと思うのです。量刑は、その犯罪の事実等に基づいて判断されますが、死刑を言い渡されるほどの罪を犯していることが事実としてあるわけです。その後ろには、被害者本人や家族の、怒りも悲しみも無念も、たくさんの感情があるのです。

 

たとえば消しゴム1個を盗んだだけで死刑にはなりません。むしろ、1人の命を奪っただけでも死刑にはならないのが実態です。いずれも許されるものでは無いですが、その犯した罪の重さに応じて、量刑は決められます。

更生させて社会復帰させるのが妥当な場合もあれば、凶悪で教育よりも応報が適当な場合もあるでしょう。すべてはその個別事案、受刑者個々の事情によります。

 

今回の写真展は、弁護士会館で開催されます。撮影者の一人が発した「さらし者」という言葉が、単なる客観的状態なのか、受刑者の人権に立った感想なのか真意は分かりませんが、この写真展、塀の中のリアルを見る点では、大きな意義があると思います。

 

できるならば、そのリアルを知り、一般の来館者が、こういう場所には行かないという予防の意味で捉えられる機会になると良いと、個人的には思います。