MASA日記

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おとなの学習帳7 道徳

10月18日 木曜日 おとなの学習帳7

 

こんばんは。

今夜のおとなの学習帳は、教科として捉えたときには、とても難しいテーマ・道徳です。なぜなら、道徳と聞けば、なんとなく理解できるものの、明確な答えはありません。日常暮らす上で守るべき規律ルール倫理観など、いずれも正解が無いからです。ただ、大多数が常識だと感じる”あるべき姿”を軸にするしかないでしょうか。

 

本日のテーマにこれを選んだ理由は、通勤中に見た嫌な光景2つにあります。

 

■ 朝

澄んだ秋の空気を吸って、気持ち良く通勤していた電車の中、すぐ背後で乗客同士のトラブルが発生したのでした。お互いに肌が密着するほどの満員電車です。

男性Aは、スマホゲームに興じており、自分の空間を確保したかったのか、片手で吊革を持ったまま、ドアまで二人分はある空間を詰めずにいました。

途中駅で大勢乗り込んできた中の一人である男性Bは、押されるまま男性Aの背後に迫り、さらにドアまでの空間を見たのか、やや強めに押したのだと思います。

これが癪に障ったか、男性Aは向きを変えて詰め寄ると、お互いに睨み合う状態に。「なんだよ」「文句あんのかよ」小声ながらも言い争う二人の様子を、周囲は他人事として見て見ぬフリをしています。やがて男性Aは男性Bの顔面に向かって咳をし、男性Bは「小僧、汚ねぇな」と言い返す始末。男性Bがやや大人なのか、おそらくは目的地では無い駅で降りると、男性Aはそれを追い掛けて下車しました。

その後の顛末は知りませんが、少なくとも言葉の応酬は容易に想像できるものでした。

電車という公共の空間です。お互いが少しずつ譲り合うべき空間ですよね。空いているならまだしも、混雑しているときは自分の空間を小さくし、もっと言えばスマホゲームを止めて奥に詰めるべき場面だったでしょう。一方で、男性Bも、「すみません、もう少し詰めていただけますか?」と言えば良いところ、無言で押してしまったのはまずかったかもしれません。主観としては男性Aに非があると思いますが、お互いが少し他人への気遣い、ルールを守れば、みんなが嫌な想いをせずに済む場面だったはずです。

 

■ 夜

帰りもまた混雑した電車での出来事です。

ベビーカーを押した母親は、スマホに夢中になっています。ベビーカーの横には3歳くらいの娘が立っており、何かを伝えたいのか、母親に大声で話し掛けています。

満員電車、公共の場です。基本的には話し声は避けるべきですから、静かにさせるという考えは正しいと思います。大声で話しても、歌を歌っても注意さえしない親もいますから、それに対して注意する姿勢は良いと思うのですが。

問題は、その言葉でした。思わずわたしは、を疑いました。

「黙れっつってんだろうがよ。うっせぇな、てめぇ、マジ死ねよ」

これ、母親が娘に言い放った言葉です。思わず振り返ってしまいました。そのときの娘の寂し気な顔と言ったら、ありませんでした。

公共の場で大声を発することを制する自体は正しいと思います。但し、自分の子どもとは言え、その言葉遣いは無いでしょう。まして、いとも簡単に「死ね」という言葉が出ること自体、恐ろしさを感じました。

どんな親でも、子どもにとっては絶対的な存在であり、最愛の存在のはずです。その親が、おそらくは日常的にああいった乱暴粗雑な言葉を使えば、この子どものみずみずしいはずの心は荒んだものに育ってしまうでしょう。

 

この二つの出来事を振り返ったとき、小学校で学んだ道徳という教科の難しさを、改めて思い知らされたのでした。一つ考えたのは、ルール、倫理と言われるものは、大勢が共同生活する社会の中で設けられた秩序であり、みんなが不快にならないため、もっと言えば多くの人が笑顔になれるためのもの、それが道徳の理想像かと。

そうだとすれば、今日見た二つのケースは、いずれも周囲の人を嫌な気持ちにさせる出来事でした。昔のACのCMに、”子どもはあなたのコピーです”というフレーズがありました。子は親を見て育つ、子どもは社会を反映する。子どもたちが荒れる、子どもたちが悲観して自ら命を絶つ、こうした結果的な事象を嘆く前に、大人がもっと、倫理観、道徳観を養うべく、自らを省みることも大切ではないかと、人間ができていないわたしが感じたのでした。おとなの、というより、おとなが学習すべき教科かもしれません。