MASA日記

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【特集】15000アクセス記念① 時事の戯言拡大版~主観と客観~

5月20日 日曜日 【特集】時事の戯言第25回

 

おはようございます。

本日の【特集】は、通常、月曜日テーマ「時事の戯言」の拡大版を書いてみたいと思います。長くなるので、早速本題に移っていきます。

■ 的確な表現

「自分が崖っぷちにいるのではなく、自分が崖の下に落ちていることを気付いていなかったと思います。」これは、5月2日午後、いつもは元気な人気グループTOKIOが、元メンバーの山口達也氏による女子高生へのわいせつ行為を謝罪する記者会見の中、松岡昌宏さんが語った言葉です。

山口達也氏の行為は決して許されるべきものではありませんし、被害に対して誠心誠意償うこと、そして社会的な責任を全うすることは言うまでもありません。TOKIOの残る4人は、苦楽を共にし、人生の大半を共にした山口達也氏に対し、敢えて厳しい言葉を突き付けました。特に”兄ぃ”と慕っていたという松岡昌宏さんの言葉の一つ一つは辛辣にさえ聞こえました。ただ、それは裏切りへの悔しさと同時に、山口達也氏への愛情さえ感じさせるものでした。「辞表を受理したとしても、僕は山口を見捨てることはできません。」と素直な心情を吐露した国分太一さんとは違うアプローチながら、酒と性欲に任せて理性を失い、置かれている立場を忘れた発言を繰り返す山口達也さんに、”早く自分を客観的に見ろよ!”そして”自分に厳しく向き合えよ!”という、メンバー4人からの優しい言葉に、わたしには聞こえました。

グループの連帯責任とすることへの異議、グループに委ねて事務所が出ないことへの批判などありましたが、TOKIOとしては、いずれも一人の大人として、適切な発言、対応だったと思いますし、日頃見せる芸能人TOKIOの素の部分を見た気がしました。そして、きっと、TOKIOへの好感度応援は増したのではないか、とわたしは思いますし、山口達也氏についても、償いと禊が済めば、何らかの形で救済される日が、いつかあっても良いとさえ個人的には感じます。それは偏に、日頃からの彼ら(山口達也氏を除く)の自覚、そして主観とともに客観的に自らを見る目を持ち合わせていたが故の結論だろうと思うのです。

 

■ 客観的な目を持たない事例①

反対に、残念ながら客観的な視点さを失った、あるいは主観のみに基づく対応により、世間の怒りの火に油を注ぎこんだ事例があります。日大フェニックスというアメフトチームによる、スポーツの名を借りた”傷害”事件はその一例でしょう。日大のDLが、アメフトのド素人のわたしが見ても明らかに違和感を覚えるプレーで、対戦相手である関学大のQBを背後から負傷させたわけですが、将来を有望視されながらも干されていたDLに、監督が「反則をやるなら試合に出してやる」と言った、あるいはコーチも試合前に「やらないというのはないからな」と念押しまでしたというウワサまでちらほら聞こえてきます。

アメフトはチームとしての系統立った動きが重要だそうで、まして当該DLも今まではルールを守っていた中、突然こうしたプレーに走ったには、それ相応の背景があると見るのが普通だと思うのです。まして相手のQBは第2・第3腰椎棘間靱帯(きょくかんじんたい)損傷で全治3週間の重傷を負いました。監督下にある中でのラフプレー、本来ならば即刻、当該選手を下げ、監督自身が責任者として被害者および家族、相手方チームに詫びるのが常識的だと思いますが、驚くことにそのままプレーを続行させ、世間の批判を浴びるや雲隠れしたわけです。責任者として最低な対応だと思いますし、自己保身ありきと批判されても仕方無いでしょう。少なくとも、わたしが当事者あるいは家族なら、絶対に許せませんし、刑事告訴、同時に民事的な賠償(慰謝料含む)と、将来的に後遺障害が残った場合には日大として一切の責任を負え!というくらいの要求はします。

<<時系列>>

5月6日  日本大学vs関西学院大学の試合中、ラフプレー発生。3度の悪質行為の末、日大DLは退場に。

     試合後、監督は「これが僕のやり方」「あれぐらいやってかないと勝てない」等と発言。

5月7日  関学大QBの診断結果が明らかになる。しびれも訴える。

5月10日   関東学生連盟が協議、当該DLの対外試合禁止、および指導者への厳重注意処分を出す

     直後に、日大監督より、8月末までの指導自粛を申し入れがある(16日に判明)。

     日大フェニックスは、部の公式サイトで謝罪文を掲載。

     関学大は日大に抗議文を送付。

5月12日  関学大の鳥内監督らが会見。抗議文への回答期限を16日とし、内容次第で定期戦拒否の意向。

     被害を受けたQBの父親は、日大の対応次第で刑事告訴も辞さない構え、警察に相談済とのこと。

5月14日  春季オープン戦で予定されていた、法政大、東京大、立教大の試合の中止。

5月16日  日大広報が取材に回答。

     15日に関学大宛の回答を送付、聞き取りの結果、指導者からの指示では無いことを明言

     指導者の意図と、選手の理解に乖離があったことが問題である。あくまでアクシデント

     監督が公に姿を見せない理由は「仕事などが忙しい」からであり、雲隠れでは無い。

5月17日  明治大、成蹊大も、日大との春季オープン戦を中止。近大も合同練習中止。

     関学大の鳥内監督と小野ディレクターが会見。日大の回答は「誠意ある回答とは判断しかねる」。

     日大は経緯説明や再発防止策等含め、24日メドに再回答の方針。

     日大はマスコミ各社に「近日中に・・・責任者が」(監督か否か不明)謝罪に出向くことを明かす。

     また、試合後の監督コメントは、監督指示と誤解を与えかねないため、前言撤回する。

5月18日  桜美林大が、日大との春季オープン戦中止。

     日大は理事会を開き、理事でもある内田監督出席も、アメフト問題は取り上げられず

5月19日  日大内田監督が関学大に出向き、直接謝罪

     その後、大阪空港で報道陣に対し、内田監督が辞任を表明

 

いかがでしょうか。5月6日に”事件”があり、翌日には重傷を負ったことが判明する中、19日まで直接謝罪が無かったのは明らかに”誠意が無い”と思います。かつ、言葉では謝罪を述べつつも、当該行為はDLによる暴走であって指導者の関与は無い、指導者と選手の理解に乖離があったのが原因であり指導者責任は無い、世間では誤解が広がっているようだから試合後の監督コメントは撤回したい、指導自粛はあくまで8月末までであり9月からの試合では指揮を執る、公の場に現れないのは「仕事が忙しい」から、理事でもある監督が出席した理事会では問題として取り上げない、と、これは日大アメフト部というより、日大という組織が自己保身、自己中心的な考えに固執し、理事であり、一部報道では絶対的権力者とも言われる内田監督を庇うが故の流れと見られて仕方ないでしょう。少なくとも被害者側から見れば、長期にわたり謝罪も無く、「仕事が忙しい」などと発言されれば、生命や人生に大きな影響を与えかねない悪質行為より自分の仕事を優先するのか!と憤って当然だと思います。また、一説では退部の意向を示した(日大側は否定)DLも、ある意味で被害者かもしれません。実力がありながら干され、試合出場と引き換えにラフプレーを強要されたのだとすれば。これで彼の今後の人生に、かなり大きな汚点になりますし、何より相手に対する悔いは一生残るでしょう。既にネット上では彼の個人情報が晒され、「ゲイビデオに出るしかないな」など心無いコメントも散見されます。そして何より、日大というブランドは就職にも有利だと言われますが、今回は広報部等含め、大学としての自浄作用の無さを露呈したため、在学生はもちろん、志望する学生にも悪影響であり、ブランド失墜に繋がりかねません。彼ら全員が被害者と言ってもいいと思います。

客観的に見た自分の言動がどう映るのか、その視点を失ったとき、そして誤った権力が横行するとき、組織が破綻する例の一つだと思います。

最終的に責任を取って監督の辞任という結論になりましたが、監督指示の有無などは明かされず、辞任についても大学含め騒動が拡大する中で批判をかわせず追い込まれた印象しかありません。すべて後手に回ってます。仮に誠意あるなら、直ちに調査に着手し、翌日にでも謝罪と辞任表明することも可能だったと思います。

それにしても、謝罪に赴いた後の取材、言葉は謝罪を重ねつつ、ピンクのネクタイをし、相手方の大学名を読み誤り、理事辞任については「別の話」と言い放つなど、うわべだけの謝罪に見えるのが残念です。加えて、背後におられた方の様子も見れば、大学として反省しているのか疑念を持たれても仕方ない気がします。

 

■ 客観的な目を持たない事例②

これも日大の問題と根源は同じく、絶対的権力への過信・服従と、客観的視点の欠如だと思います。

わたしは麻生太郎という政治家は、暴言失言で度々叩かれながら、どこか正直で、立場上控えるべき本音をポロリと口にしてしまう人間的な部分が垣間見えるところ、個人としては嫌いでは無いのですが、副総理という立場重みを忘れ、ときにその重みに溺れている感が最近あります。

森友問題。最終的には佐川前理財局長の「個人の資質の問題」として処理しながら、一方では「適材適所」と述べる時点で、既に一貫性に欠けているわけですが、トップとしての自らの責任は否定しています。

福田前次官のセクハラ問題に至っては、「福田に人権は無いのか」「はめられた感はある」「記者を男にすればいい」など放言の限りを尽くし、閣内他閣僚や与党からも苦言を呈される始末です。それでも「『セクハラ罪』という罪は無い」答弁を閣議決定で押し通す(実際に刑法上そうした罪名は無いですが)あたり、首相含め強引だなぁ、という気がしなくもありません。

重要な世界情勢、国内の経済問題、少子高齢化に労働問題など、国会が本来果たすべき議論をしない野党の在り方もどうかと思いますが、政府・与党の重役の言動を見れば、”今の野党は怖くない””支持率はいずれ回復する””今後もこの政権は続く”という過信が透けて見える気がします。もっと言えば、閣僚ポストに加え、官僚の人事権も握り、ときには警察も動かし、今度はメディアにまで権力を及ぼそうという動きは、本来は自浄作用によって浄化されるべきでしょうが、そうならない自民党の体質にも問題があるのかな、と感じます。

結局のところ、世間からの批判が抑制できなくなるまでは、身内も自分も庇い、最後は行為者自身に責任転嫁するやり方は反感を買うばかりです。行為者自身も辞職を申し入れ、貰うものは貰うわけですから、官邸に忠誠を誓った者勝ちという構図は何ら変わらないように見えるのです。

少なくとも、立場ある人は、自らの一挙手一投足に世間の目(ときに批判的なものも含め)が注がれることも理解して、慎重な言動を行う必要があると思います。その意味で、主観はもちろん大切ですが、同時に客観的な目を持ち合わせないと、いつしか世間と乖離しかねません。

 

■ 時事の戯言

本当に長々と書きましたが、政治であれ、スポーツであれ、あるいは民間企業であれ、自分の中にある主観と、他社から見た自分という客観のバランスを失うときが恐ろしいわけです。

とりわけ権力の座にある人は、自分への客観的な目がどうあるのかに敏感であるべきでしょう。その意味で、昔の人の言う「実るほど頭が下がる稲穂かな」という言葉を、本心では無いにしても実践しておくことが、利口な在り方なのかな、と感じます。

まぁ、単なる爺の戯言ですが、そう思うのは爺になったからでしょうかね。こう書きつつ、人のフリ見て我がフリ直そうと思うわけです。