MASA日記

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時事の戯言 第19回~思いやりのこころ~

4月16日 月曜日 時事の戯言第19回

 

こんばんは。

第19回、今夜の「時事の戯言」は、思いやりのこころについてです。

 

■ とある出来事①

既にネット上やワイドショーでも取り上げられていますから、ご存知の方も多いと思いますが、仙台市老人クラブ連合会の一部会員が、花見に向かう電車の座席に「席をお譲り下さい 次の駅から、敬老者が16名乗車します 伊達なクラブ《西町わかがえる会》」なる紙を置いて座席を占拠した問題です。

車掌からも注意を受けながら紙を撤去せず、席取りを行った行為についてはネット上で批判を浴び、老人クラブ連合会が謝罪文を掲載する騒動に発展しました。他にも同会会員が、福島県での花見を企画した際に、福島県観光協会にバスの無償提供を要求するなど、その度を越した要求や行動が報じられる始末となっています。

多くの方の受け止め同様、わたしもこの問題については、行き過ぎた行為であって、厚かましいとさえ感じています。

 

■ こころの問題

この出来事が批判を浴びたのは、有名な花見名所に向かっていた人が席に座れなかったからではありません。私たちは年寄りだぞ、敬老者だぞ、(言葉では「お譲り下さい」とあっても)席を譲れ(あるいは譲って当然だろ)という心が透けて見えるからです。

たしかに、高齢者や身体の不自由な方、その他お困りの方には、席を譲るべきだと思います。しかし、たびたび電車マナーで話題となるとき、そこには譲ろうとしない人と、譲って当然だろという人の、当事者間の衝突があるのです。

これはもう、こころの問題でしか無いのですが、座っていたところに高齢者や身体の不自由な方が近づいて来られたら、「どうぞお掛けください」と席を譲り、譲ってもらった方は「どうもありがとう」と謝意を示す、これこそ思いやりであり、誰もが気持ちよくなれる人と人との関わりなのだと思うのです。

そこに強制や、横柄さが働いた瞬間、このバランスが一気に崩れてしまいます。

同様に、ゆとりであったり、おもてなしであったりというものも、個人のこころの問題であって、制度化して教育したりするものとは次元が違うと感じます。

どうすれば相手が喜んでくれるか、どうすれば相手が気持ちよくなってくれるか、非常にシンプルにして、実は難しいこの問題こそが、家庭や社会との接触の中で身に着けるべきこころの問題だと思うのです。

 

■ とある出来事②

これはわたし自身の経験です。

先日、都内某所の有名なファーストフード店に入りました。昼時とあって、店内は大混雑で、座席を求めてウロつく人で溢れていました。

店内は1階が注文、2階と3階が飲食スペースですが、2階にスペースが無く3階に上がろうとしていたとき、3階から降りてきた中学生の男の子が「上も一杯で席がありませんでしたよ」と教えてくれました。見ると、彼もわたし同様に場所が無いらしく、持っているプレートには手を付けていないハンバーガーなどが載っていました。

見知らぬわたしに”上がっても空いてないですよ”と教えてくれたことが嬉しくて、思わずわたしも笑顔になり、「ありがとう。混んでるね~」と彼に御礼を言いました。

その後、運よくわたしがいた付近の座席が2席空いたので、まだ場所探しをしていた風の彼に合図をして、わたしは彼と横並びで食事をすることができました。

たった数秒のやり取りなのに、その日はとても気持ちよく過ごせたのです。

一方で、そうした店内の状況にも拘わらず、スマホ片手に2人掛けの席を陣取る人や、食べ終えても堂々と化粧に時間を掛けている人などには、苛立ちを覚えました。

 

■ 時事の戯言

たった一言、たった一つの所作が、他人を幸せな気分にしたり、嫌な気分にさせます。それは、気持ちのベクトルが、他人に向いているか自分に向いているかの違いです。

最初にご紹介した出来事では、花見に向かう列車に、高齢な方が乗り込んできたとき、席に座っていた方が「どうぞお座りください」と譲り、「あ、申し訳ありません。どうもありがとう」とご老人が応じれば、美談なのです。

日本が誇る繊細な気遣い、おもてなし、思いやりというものは、内面の表現としてさりげなく行うものです。まして相手方に要求するものではありません。

相手を思いやるこころがあれば、きっと些細なことでも、相手には大きな幸せとなって響くことでしょう。それは相手を幸せにし、またどこかの誰かへの思いやりとなって、幸せが伝播していくきっかけとなります。幸せの連鎖が広がればいいな、と思うのです。まぁ、「爺の戯言」ですけどね。