MASA日記

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乗り物 第60回~懐かしのバブルカー6 インフィニティQ45~

3月13日 火曜日 乗り物第60回

 

こんばんは。

今夜の「乗り物」は「懐かしのバブルカー」シリーズ第6弾です。日産自動車が誇った超高級車・インフィニティQ45を取り上げます。

 

■ クルマの概要

クラウン(トヨタ自動車)セド/グロ(日産自動車)最上位という暗黙のルールを破り、日産がシーマを世に送り出したのが1988年1月。ときの日本はバブル経済真っ只中にあり、高いほど売れる、という風潮が支配しており、その高いデザイン力も相俟って、シーマは一大ムーブメントを巻き起こしました。

この流れに乗り、翌1989年11月に登場したのが、日産インフィニティQ45(以下「Q45」)でした。シーマが国内市場に主眼を置いたのに対し、Q45は北米に立ち上げたインフィニティブランドのフラッグシップとして登場しました。

しかしながら、「ジャパン・オリジナル」と銘打ったQ45は、日本を強く意識した作品でした。たとえばグリルレスの薄いマスクに取り付けられたエンブレムは七宝焼、内装ではオプションで漆塗り(金粉蒔絵)のインストルメント・パネルが設定されるなど、かなり特異なクルマであったことは間違いありません。

また技術面では、世界初となる電子制御アクティブサスペンションをオプション設定し、走りの面でも日産車らしいパワーとトルクが与えられていました。

この頃の日産の冒険心はかなり面白い作品を多く生み出すのですが、同じく1989年にワールド展開を視野に入れたトヨタセルシオには販売面で大差をつけられます。

原因を振り返ると、やはりまずはエクステリアデザインでしょうね。当時はまだ、高級車=大きなグリルが不文律でしたから(実は今のアル/ヴェルなどを見ても変わっていないと感じますが)、グリルレスな高級車は好まれなかったのでしょう。実際、グリルレスでも、サニークラスだったプレセアはスマッシュヒットになりましたから。

加えて、当時の国産ではアルファベット+数字という車名に抵抗感も強かったかもしれません(RX-7などは別として)。その点「レクサスLS430」ではなく、「セルシオ」という国内名を準備していたトヨタの市場感覚の捉え方は優れていたのでしょう。

 

■ エクステリアデザイン

クルマとしての素性は決して悪くないのに、売れないというのは、先程述べたようにエクステリアデザインによるところが大きかったと思います。

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これは前期型(↑)デザインですが、全長5m超のビッグボディのわりに大味な印象を受けるのは、やはりフロントマスクの締まりの無さゆえでしょう。

その反省を踏まえた後期型(↓)では、フロントマスクを変え、顔の厚みを持たせたことで、前後バランスが取れ、落ち着いた印象を受けます。

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登場時から後期型のようなフロントグリルを備えていれば、もう少し販売面でもプラスになったのではないかと思うと、残念なクルマでもあります。

 

■ プレジデントのベース

はっきり言ってしまえば失敗作の烙印を押され、1台限りで日本市場から姿を消したQ45ですが、日産最高級車であるプレジデント(↓)のベースともなりました。

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このプレジデントは、公用車等はもちろん、パーソナルユースでも一定の広がりを見せただけに、ベースであるQ45の失敗はやはり悔やまれます。

 

バブル時の資金力ゆえに、不要な冒険をし、失敗したQ45。記憶にも留まらないかもしれませんが、ある意味、バブルカーの象徴的な車種の一つと言えるかもしれません。