MASA日記

働き方、お金のこと、趣味のこと、ニュースなど、徒然なるままに書いています

【特集】忘れない3・11年末拡大編

12月11日 月曜日 【特集】

こんばんは。5夜にわたる年末版【特集】、初日の今夜は「忘れない3・11」の拡大編をお届けします。週末に出張で仙台を訪れたわたしは、東日本大震災発生から7年を前にした、ある場所を訪れました。

f:id:Masa_S:20171210141325p:plain

訪れたのは仙台市の南東部に位置する、若林区荒浜という場所です(場所は上記地図の目印付近)。2011年3月11日、宮城県庁2階の避難所に身を寄せていたわたしの耳に入ってきたのは、宮城県仙台市、荒浜付近と思われますが、上空から確認できるだけで、200から300の遺体が確認できます」想像を絶する情報でした。テレビという情報を絶たれた我々にとって、沿岸部で起きたことを視覚的に理解することができない中、ラジオが伝えたその情報に避難所では、悲鳴、ため息、どよめき、入り混じっていたことを覚えています。

■ 震災遺構 荒浜小学校

わたしが訪れたのは、荒浜にある「震災遺構 仙台市立荒浜小学校」です。2017年4月30日、既に廃校となった荒浜小学校を使い、当時のありのままを後世に伝えるために開設された場所です。押し寄せる大津波の一つの分岐点となった仙台東部道路より海側に位置する荒浜小学校は、津波により甚大な被害を受けました。

f:id:Masa_S:20171210142808j:plain 入口に立つ「震災遺構 仙台市立荒浜小学校」の看板

当時、教職員や児童、それに地域住民ら320人ほどが身を寄せた場所です。荒浜地区に押し寄せた津波の高さは10mとも言われ、校舎2階以上の高さにまで津波は押し寄せました。

f:id:Masa_S:20171210143201j:plain 校舎東側のフェンスには、今も津波の爪痕が残る

いつもは校舎の窓から眺めていたであろう、青く広がる太平洋は、その日ばかりは恐怖の海だったに違いありません。視界に壁のように聳え立つ津波を見た人々の恐怖は、想像を絶するものだったことでしょう。

f:id:Masa_S:20171210143725j:plain 太平洋は目と鼻の先。校舎から望む荒浜の海

f:id:Masa_S:20171210143827j:plain そのとき起きていたこと、会話が写真とともに克明に残されている

校舎の中で身を寄せ合った住民らが津波を見た様子、その緊迫した状況が、残されています。「上に上がれ!」誰ともなく叫ぶ声に呼応して、屋上に逃げたのでしょう。寒い3月、ただでさえ寒い校舎の教室から屋上に逃げた人たちを、津波が、寒さが、不安が襲ったのです。

f:id:Masa_S:20171210144606j:plain ガラスを突き破り教室に押し寄せた流木

f:id:Masa_S:20171210144628j:plain 教室に押し寄せた瓦礫の山

津波が引いた後、住民が目の当たりにした光景が写真で残されていました。天井に近い位置には裏返しになったクルマも見えます。いかに津波の威力が強大であったかを物語っています。これを見た人々の気持ちを言葉で言い表すことの難しさを感じました。

f:id:Masa_S:20171210144545j:plain 泥だらけになった教室は今もそのまま

ここは教室、天井まで津波が押し寄せたことは、泥だらけの室内を見れば分かります。いつもは元気な声で溢れていたであろう教室が、無残な姿になったのです。黒板の真ん中に大きく書かれた「平常心」の文字に、地元住民の方々の強さを感じました。

 

■ 想い出

仙台市立荒浜小学校は、1873(明治6)年開校の、140年余りの歴史を持つ小学校でしたが、この津波による甚大な被害を受け、2016年3月31日にその歴史を閉じました。

 

f:id:Masa_S:20171210145849j:plain 階段踊り場のパネル

階段の踊り場に掲示されたパネルを見つけました。2011年3月4日、東日本大震災のちょうど1週間前に、「6年生を送る会」が開かれたそうです。その様子を収めた写真ですが、荒浜小学校をもうすぐ卒業する6年生に向け、4年生が「思い出のアルバム」の替え歌を歌ったと記されていました。子どもにとって忘れられない6年間の思い出、その一週間後に東日本大震災が襲い、学び舎が破壊され、友達や知り合いが離れ離れになることなど、そのときは誰も想像しなかったに違いありません。

f:id:Masa_S:20171210150410j:plain 黒板を埋め尽くすメッセージ

ある教室の黒板です。そこには、大好きだった荒浜への感謝、荒浜小学校への感謝、仲間たちへの感謝、そしてエール、頑張って生きて行こうという熱い文字が、所狭しと残されていました。きっと大好きな故郷で、大好きな仲間たちと、大好きな小学校で過ごせたはずの子どもたちが、震災によりその可能性を絶たれたことを思うと胸が痛みます。それでも前を向いて生きる人々の強さを目の当たりにした気がします

 

■ あの日のまま

もうすぐ2017年も暮れようとしています。しかし、荒浜地区の風景は、見渡す限り何も無く、工事車両とこの震災遺構となった荒浜小学校の校舎だけが見えるだけです

復興・復旧はおろか、きっと人々の荒浜の思い出も東日本大震災の時点で止まり、そして今はどこかで遠い故郷の記憶を糧に暮らしているのでしょう。わたしの知人でも、「いつまでも引きずるなんて」とか「もう復興してる」と口にする人もいます。しかし、この現実を見て欲しいですし、そこで奪われた命の数や、失われた人々の生活を思えば、よくも軽々しく言えるものだとわたしは思うのです。

興大臣という肩書の方々の失言や不始末を見れば、国はアテになりませんが、わたしはしっかり心に刻み、たとえ「いつまで同じことを」と言われようとも、2011年3月11日という日を忘れることなく生きて行きたい、そう思うのです。廊下に置かれた寄せ書きノートに、「人生観が変わった」と書いている方がいました。本当にその通りで、わたしも「生きるとは」「幸せとは」と考えるようになりました。

 

この「震災遺構 仙台市立荒浜小学校」は入館無料です。訪れた当日も、風の強い寒い日にも拘わらず、大学生の団体や、元住民と思しき方、そして海外からの方もたくさん訪れていました。もし仙台を訪れ、震災について知りたいと少しでも思われる方は、訪れてみてください。

住所 : 〒984-0033 宮城県仙台市若林区荒浜字新堀端32-1