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MASA日記

働き方、お金のこと、趣味のこと、ニュースなど、徒然なるままに書いています

80年代少年⑦衝撃だったニュース アレコレ

80年代に少年期を過ごしたわたしが当時を振り返る、勝手にスペシャルウィーク企画も今日が最後。土曜日テーマに連動し、80年代で子ども心に衝撃を受けたニュースを取り上げます。

 

豊田商事会長刺殺事件

1985年の事件です。子どもなので、事件の詳細など知る由もありません。ただ、僕が見ていたテレビは、まさに事件を生中継していました。怖そうな2人組の男性がマスコミの前に現れ、「ぶっ殺してくる」というような物騒な言葉を発しながら、家の中に侵入。やがて出てきた2人の服は血で染まり、手には刃物を持ち、「はよ警察呼べ」「俺が犯人や」などとカメラに向かって叫んでいる。戸締りしていても、あんな怖いことが起こるんだ・・・と恐怖を覚えました。事後で知ったところ、NHKのニュースでは「子どもには見せないでください」と呼び掛けていたそうですが、なにせ見てしまったもので。

 

三原山大噴火

自然の力を目の当たりにした出来事でした。1986年に発生した三原山の大噴火。海に浮かぶ島が真っ赤に燃えているテレビ映像は、これもまた恐怖でした。溶岩が川のように流れ、山は真っ赤に染まる。その少し前に近所で山火事があり、救急車のサイレン音が無性に怖かったこともあったところに、大規模な噴火とあって、夜に不安になったことを覚えています。当時の後藤田正晴官房長官の指令の下、島民に一人の犠牲も出さずに脱出作戦が成功したことをニュースで知り、ホッとしたものでした。

 

岡田有希子さん自殺

当時人気があったアイドル・岡田有希子さんが、マンションから身を投げて自殺したというワイドショーを見ました。岡田有希子さん自体はあまりよく知らなかったのですが、有名な人が、マンションから飛び降りた、そして死んだという事実は、小学生の僕にはそれだけで寂しいとか怖いという気持ちを抱きました。翌日の学校で、「いのちを大事にしようね」と先生に言われた記憶があります。

 

かい人21面相事件

今なお未解決の、いわゆるグリコ・森永事件です。事の詳細は長いので割愛しますが、何が怖いって、子どもが食べるグリコや森永のお菓子に毒物が混入されていて、しかもわたしが生まれ育った地域に近い京阪神が事件の中心だったことで、スナック菓子にビクビクしていたものです。

「たべたら しぬで」などと書かれたお菓子がスーパー等で発見された当時。僕が近所のスーパーで買ったマーブルチョコレートにはそのような文字は無かったものの、おそらく製造工程で砂糖が浮き出したのか、チョコの表面に白いプツプツがたくさん浮き出ていました。これを見た瞬間「ついにここまでかいじん21面相が来てしもうた・・・」と怖がる僕を見た母親に大笑いされたのを思い出しました。ついでに言えば、キツネ目の男を見るたびに犯人とすれ違ったのではないかと怯えていたのですが、某テレビ局のキツネ目のアナウンサーのことが怖くて怖くて、その人が出てくるたびにテレビを直視できずにいました。疑ってごめんなさい。

 

日航機墜落事故

羽田から大阪空港(伊丹空港)に向かった日本航空123便(今なお欠番)がレーダーから消え、御巣鷹山に墜落、乗客乗員520名が犠牲となった悲惨な航空機事故。山﨑豊子さんの「沈まぬ太陽」のモデルになったことでも有名な、多くの犠牲者を出した航空事故です。

この年は、偶然にも父が10日間の夏休みという大型の休みを取れたこともあり、マイカーで東北地方に向かっていました。うちは毎夏に家族旅行が恒例で、父は登山を趣味としていましたのでキャンプが多かったのです。そしてこの事故日の前日、岐阜県に程近い長野県でキャンプをしました。その翌日(つまり事故当日)は、長旅の途中ということもあり、湯田中温泉(長野県)の旅館に泊まっていたのですが、旅館の部屋で見ていたテレビが一斉に事故を報じ、おどろおどろしい雰囲気と言うか、真夏なのに鳥肌が立つと言うか、そういった感覚を覚えました。しかも、僕がかつて日曜日朝に見ていた生き物の番組でナレーターを務めていた坂本九さんが、その事故機に搭乗していて亡くなったことを知り、ショックも大きかったです。刻々と、そして淡々と伝えられる情報、犠牲者の名前を聞きながら、人が死ぬということをなんとなく意識した事故でした。

 

こうして見ると、経済的には高度成長・バブルといった明るい兆し、政治的にも中曽根内閣を中心とした安定期(世界でも、米国レーガン大統領をはじめ、各国に強い指導者がいた)でした。反面、日米は貿易摩擦問題があり、東西冷戦時代でもありました。国内では核家族化が進み、働く親の事情で、家に帰っても誰もいないカギっ子と呼ばれる子も多くいました。だからこそACは、あんな寂しげなCMを流して大人たちに注意喚起をしていたのでしょう。経済が満たされてくると、反比例するかのように心が荒むような言われ方もしていた気がしますが、詐欺事件や凶悪事件が多発し、社会に暗い影を落としました。子どもたちの間ではいじめや校内暴力も問題になっていました。芸能界に目を転じれば、AKBグループのプロデューサーとして今なお活躍する秋元康氏が、当時はおニャン子クラブをプロデュースしていました。

経済は20年周期で巡るとも言われます。世界政治は、パワーバランスに変化はあれど、強いリーダーを欲する各国の情勢と、どこかギクシャクした東西の関係が再び見えてきています。米国とソ連が高所に立ち、軍事ではなく話し合いで難局を乗り越え、東西の冷戦終結の象徴となったベルリンの壁崩壊のような雪解けは、今後起きてくるのでしょうか。80年代に少年だった僕は、どことなく昔感じていた80年代という時代と、現代に共通する何かを感じています。それが何なのかはハッキリしていません。それはもしかすると、80年代を背景に育った僕ら世代が、今の時代の中枢にあるから、出来上がった社会もまた当時に模しているのかもしれません。悪い歴史は繰り返さず、2010年代少年たちに明るい経験を残せるかどうか、それが将来の社会への明るい展望になるかの試金石なのかもしれないと、80年代少年だったちっぽけな僕は思っています。