MASA日記

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旅と味 第4回~橋から見る東京~

11月4日金曜日です。やはり11月になると、随分気温が下がるもので、街ですれ違う人がマフラーを巻いていたリすると、いよいよ冬間近だと実感します。


そんな澄んだ秋から冬の空気を体いっぱいに吸い込みながら、街をぶらりと歩いてみるのも良いものです。普段、東京都内の移動は電車がメインですが、たまに時間があるときは、路線バスや徒歩など、いつもとは違う東京を見るのが密かな楽しみです。

 

今日はそんな徒歩による東京めぐりの一端をご紹介します。
 

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いきなりですが、奥には都会の街並みが見え、手前には茶色に錆びた橋が見えます。

これ、今話題の豊洲にある橋です。不思議に思って調べてみると、コレ、かつては鉄道橋だったそうです。その名も晴海橋梁。なんでも、旧国鉄時代、越中島駅(現 越中島貨物駅)と豊洲石炭埠頭を結んだ深川線から分岐し、晴海埠頭に伸ばした際、晴海運河に掛けられた橋らしく、既に1989年に廃線となったようです。

その後も撤去されずに残っているのですが、今、旬な話題となっている豊洲にあって、かつては豊洲に石炭埠頭があったことを知ると、なんだかこの橋は時代も繋いでいるような気がしてきます。この過去の橋と奥に見える現代の街、結構気に入りました。

 

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そんな晴海橋梁を過ぎて渡るのが晴海橋。その途中、豊洲越中島佃島・晴海に囲まれた川の真ん中に、コンクリートで囲まれた場所を発見しました。近くまで行くことはできなかったのですが、帰宅して地図で見ると、まるで算数のテストに出そうな台形をしています。海苔でも養殖しているのかな?と勝手に想像しましたが、疑問は解決しないままです。そして、そのはるか遠くには、今や東京のシンボルの一つとなったスカイツリーがドンと構えています。それなりに離れているのに、やはり大きいですね。

 

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晴海橋西詰を右に曲がると、左手奥には首都大学東京(晴海キャンパス)や晴海総合高校があります。 やがて大きく左にカーブすると、歩いている道路の地下には、豊洲から直線距離でショートカットしてきたメトロ有楽町線が合流してきます。

月島を超え、さらに進むと、今度は佃大橋に差し掛かります。その右手後方に見えるのが住吉水門、奥には住吉神社があるそうです。様々なページでその歴史が触れられていますが、歴史は古く徳川家康公の時代に遡るのだとか。たしかに、佃島という地名が、大阪の摂津国佃の漁夫が移り住んだことから来ていることを考えると、その歴史の古さに納得できます。ちなみに、こちら住吉神社では、だるまみくじというおみくじが有名なのだそう。今度行ったときにでも、引いてみることにします。

 

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佃大橋を渡り終えて、右に右にと歩いて行くと、新川を超えたところで永代橋に差し掛かります。この永代橋から右手を見ると、再び佃島を眺めることができます。

先程見た歴史深き佃島とは思えない、高層マンション群が立ち並ぶ姿は、まるで海外にでもいるかのような錯覚に陥りそうな綺麗な景色を見せてくれます。写真では曇っているのが残念ですが、晴れていたらどれだけ綺麗なのだろうと思います。

 

こうして見てくると、東京という土地は、かつての歴史を刻み、残しながら、時代の最先端で変化していくというバランスの取れた街だと感じました。

前にも書いたかもしれませんが、何より、その地名からかつての歴史の一端を垣間見ることができる点で、無闇に地名を現代化しない東京の良さを感じます。(わたしは、市町村合併による、「西東京市」や「東かがわ市」のような地名、「とうきょうスカイツリー駅」のような駅名が好きではないです)。

 

最後におまけで。新川から八丁堀に向かう途中に渡る小さな橋。名前は高橋というのだそう。橋のプレートが、なんだか大きな表札みたいで、思わず撮影しました。

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