MASA日記

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日航機墜落事故から31年

8月13日土曜日の朝を迎えました。関東はここ数日、夏らしい暑さから解放され、冷房無しで夜を眠れていますが、西日本は猛暑が続いている模様です。お盆を故郷で過ごされている方々も多いと思います。

 

そんなお盆を迎えると、家族や親族、知人・友人と再会する機会も多いと思いますが、それを果たせぬまま520人もの方々がこの世を去った痛ましい事故を思い出します。

 

1985年8月12日18時56分、羽田(東京)発伊丹(大阪)行のボーイング747型機(通称 ジャンボジェット)、日本航空123便が、群馬県上野村御巣鷹山に墜落し、航空史上最悪の犠牲者を出した事故です。歌手の坂本九さんも同便に搭乗しており、亡くなりました。山﨑豊子さんの小説「沈まぬ太陽」のモデルともなりました。

 

わたしは当時9歳だったのですが、長野県のキャンプ場で家族でキャンプをしていました。突然、ラジオから流れてきたこのニュースに、親が真剣な表情で聞き入っており、子どもながらも大変なことが起きたのだな、ということは分かりました。

そして、長年の歳月を経る中で、当時の機内の状況、搭乗者の行動や記録などが明らかになってきます。昨日、ある記事を読みました。

 

「<日航機墜落>父の遺書から命学ぶ 札幌の教員、慰霊登山」(8月11日毎日新聞

 

この方は、まだ中学生だった当時に、最愛の父親を亡くされたわけです。激しく乱高下する機内、酸素も薄くなり、何十分も恐怖に怯え、混乱する中での走り書きの遺書。「みんな元気でくらして下さい さようなら」と残し、愛する家族の名前を一人ずつ書き記して、この世を去ったそうです。この方の父親のみならず、多くの犠牲者の方々が、無念を滲ませ、死を悟り、そして家族への感謝と想いを残しました。

 

今、この方は当時の父親とほぼ同年代となり、教員として「『行ってらっしゃい』と見送った相手に二度と会えないこともあるんだよ」と教えているそうです。今ある普通がいつまでも普通である保証はどこにもありません。だからこそ、今ある普通に幸せを感じ、今ある普通に感謝し、今を精一杯生きなければならないし、与えられた命を粗末にしてはならないと思うんです。

 

あれからもう31年が経ちました。当事者以外にとって、事故は風化しつつあるのかもしれません。しかし、こうした普通の日常への想いは、風化させてはいけないと思います。お盆です。懐かしい面々と共有する時間を、大切にしてください。