MASA日記

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渋谷スクランブル交差点

7月20日火曜日の夜です。学生さんは今日が終業式というところも結構あったようです。大人でも、早めの夏休みを取る方がそろそろ出てくる時期かもしれません。

 

さて、今日の東京も非常に暑かったですが、昼間に渋谷ハチ公口を出てスクランブル交差点に行くと、まぁ外国からの観光客の多いこと!洋の東西問わず、自撮り棒やカメラを思い思いの角度で構え、そして交差点が青になって人が流れるのを見て歓声を上げているわけです。東京の代表的なスポットの一つとして有名だとは聞いたことがありますが、あそこまで多くの外国人で溢れているとは思いませんでした。

 

信号待ちをしているとき、そのうちの一組が、”渡ってみたけど歩くのに苦労した。日本人はなぜ上手に歩けるのだろう”という疑問について、話し合っていました。

たしかに、日体大の集団行動のように、特殊に教育を受けているわけでもない一般の人が、クロスする交差点を器用に歩く様は、もしかすると外国の方にはある種不思議に映るのかもしれません。しかもあれだけの人数が一度に交差点を渡るのですから。

 

わたしは田舎生まれ、田舎育ちなので、スクランブル交差点などという洒落たものは東京で初めて経験したのですが、特段苦労はしませんでした。

そんな自身の経験を踏まえて、その外国人の方の疑問について自分なりに考えてみた答えは、”他人に目を配り、他人に配慮し、他人に譲る”という日本的な習慣が理由なのではないか、という結論に至りました。”俺が歩いてるんだから、お前がよけろ!”ではなく、”お互い様”で速度や位置を譲り合いながら上手に調整しながら歩いているのだと。例えば、”傘傾げ”という言葉がありますが、狭い道で傘を差してすれ違う場合に、お互いに傘を斜めにして当たらないようにする。こうした配慮、譲り合いこそ、日本的な習慣であり、だからこそ、非常に多くの人が渡るあの”厄介な”スクランブル交差点さえも、事もなげにやり過ごせてしまうのではないか、と。

そうした日本的な習慣は、外国人には一種独特で不思議な光景に映り、実際に歩いてみて難しいと感じてしまうのかもしれません。

 

わたしの導いた結論が正しいか否か、知る由もありませんが、もしそうならば、スクランブル交差点のあの光景は、実は日本が誇るべき文化の一つなのかもしれませんね。

最近では、傘傾げもしない、横に広がったまま道を譲らない、後方に注意しないで傘を前後に振る、など、日本が本来持つ他人を慮る行動が薄らいでいるように感じていますが、10年先、20年先、50年先も、あのスクランブル交差点がいとも簡単に渡れるような日本であって欲しいと思いました。