MASA日記

働き方、お金のこと、趣味のこと、ニュースなど、徒然なるままに書いています

★回想★ 23年前の夏。T君を偲んで。

(注意)

この記事は、このブログのテーマである、働き方やお金のこと、それに将来設計のこととはまったく関係ありません。内容も重いものですし、場合によりご不快になることもあると思うので、その点を踏まえて、もし気になればお読みください。

 

 

この記事を書き始めた今、もうすぐ13時になります。おそらく書き終えるときには13時を回っているでしょう。7月2日13時は、23年経った今でも、わたしの中で重く特別な時間です。それは、同級生の命日であり、彼が帰らぬ人となった時間です。

夏休みも間近に迫った7月、その日は朝から厳しい日差しが照り付ける、西日本の暑い夏の日でした。わたしの通っていた高校には冷房も無く、窓は全開にされ、太陽を遮るための白いカーテンが、たまに吹く風に揺らされる昼下がり。昼ご飯で腹を満たしたことで睡魔に誘われて突っ伏している者、窓から見える川を眺めている者、そんな生徒の間を扇子で仰ぎながら古典の教師が歩いていました。

 

そんな日々繰り返される平凡な教室の空気を一変させる出来事がありました。そう、ポツンと空席になっていた彼が、そうさせたんです。

 

彼の名はT君、たしか誕生日が9月でしたから、当時は16歳の高校2年生でした。性格は素直で、あっさりしていました。うちの高校ではさほど盛んでは無かった部活動にも入り、バスケットボール部で汗を流す、そんな少年でした。バスケットボール部と言っても、身長はわたしより少し低かったので、おそらくは160cm台後半だったはず。わたしにとってのT君は、そんなに親しくもなければ、だからと言って決して嫌いでも無い、単なる同級生という位置づけでした。その日、午前中の途中の授業から、彼は調子が悪いと申し出て、保健室に行きました。気づくとカバンも無くなっていたので、帰宅したんだなと思っていました。

 

午後一番の授業も20分程度が過ぎ、すっかり寝入ってしまった生徒の頭を、たまに教科書の背で軽く叩きながら歩く古典の教師。そこに、クラス担任だった英語教師が血相を変えて飛び込んできました。「××先生!すみません、ちょっといいですか?」。担任は古典の教師を廊下に連れ出すと、何かを伝えたらしく、古典の教師の「え!!」という大声が廊下に響くや、すぐに戸が開いて「今日はもう自習や」と言い残し、2人は足早に職員室に向かって行きました。

 

T君の自殺を知ったのは、その日の夜でした。緊急連絡網を通じて、担任から、T君自殺の報が伝わってきました。1週間を終えたハナ金のはずの金曜日の夜が、どれだけ重い空気だったか、今も忘れられません。T君は、帰宅した後に、庭にある納屋で首を吊って死んでいたそうです。発見したのはT君のお母さん。玄関に靴があり、部屋には鞄があるのに、T君がいないことを不審に思い探していたところ、納屋の戸が少し開いており、そこで第一発見者となったとのこと。

 

そんなに親しくなかったはずのT君の、16歳という若すぎる死を、なぜ今もわたしが引きずっているのか。勿論、人の死という重い事実に直面し、いたたまれない気持ちになるのは当然だとして、それ以前に彼がいじめられていることを薄々知りながら、傍観し、助けなかったことを悔やんでいるからです。

彼は決して弱音を吐くこともなければ、教室でもいつも感情を表に出さず、落ち着いた様子で過ごしていたので、きっとそれから先、卒業するまで変わらないだろうと思っていました。そう思って、あえていじめを黙殺していた、というのが正しいです。

 

目に見える暴力によるケガも無ければ、彼が登校拒否になることも無かったので、特に女子生徒にとっては”突然の自殺”で”原因不明”だったことでしょう。男子の中でもどれだけの生徒が知っていたのか正確には分かりません。

 

わたしはその年の5月頃、偶然、いじめの事実を知ってしまいました。その日は朝から腹の調子が悪く、かと言って学校で大便をするのは恥ずかしいと思ったわたしは、昼休みに北校舎の3階にあるトイレに向かいました。そこは特別教室が多く、授業が無いときは生徒もほとんどいないので、落ち着いて入れると思ったのです。

ところが、ドアを開け、壁を回り込んだ場所には先客がいました。3人の同学年の男子です。そして彼らの視線の先にある個室はドアが開いており、足元から制服のズボンが飛び出ています。わたしは少し覗き込むと、全裸にされ、3人の前で自慰行為している最中のT君の姿がありました。個室の足元には彼の制服や下着が散乱しています。

 

腹の調子が悪かったわたしが急に駆け込んだので、3人も防御できなかったのでしょう。呆然とするわたしに、うち1人が「こいつ変態やろ。見てくれ言われたから」と(今思えば)言い訳をします。そして「ちょっと掛かるから他使えや」と、わたしに出て行くように言いました。勿論、わたしがチクるような性格でないことも知っていたのか、あえて口止めされることもなく、自然に追い出されました。

 

T君の死の後、みんな彼の死について触れることを避けていましたが、大学進学後に同窓会をしたとき、数人と話したところ、何人かは同じような場面を目撃したことがあったそうです。つまり、直接いじめに加担しなくとも、いじめと思しき事態を黙殺した人間がわたし以外にも何人かはいたのです。

 

どうして止めなかったのか・・・わたしは、怖かったから。自分がターゲットにされるなんて絶対に嫌だったので、いじめていた連中に騙されたフリをして、自然退去に応じ、特に先生に知らせることさえせずにいました。

でも、7月2日がくるたびに、どうして救ってやれなかったのか、せめて匿名であれ、先生にその事実を教えなかったのか、本来なら同じ40歳を迎えていたはずのT君のことを思うと、とても苦しくなり、23年が経った今でさえも自分を責めてしまいます。

 

いくら男子高校生でも、高校2年生は思春期。人前で裸になったり、まして自慰行為を同級生の前で見せることは、恥ずかしい以上に、これ以上ない屈辱だったでしょう。そして人生を悲観した先に待っていたのは、自死という選択肢だったすれば、こんなにむごたらしいことは無いと思います。

 

今、いじめを受けている人に言いたいのは、きちんと苦しいということを発信して欲しいし、嫌だという気持ちを伝えて欲しい。もし、いじめを見掛けて知らないフリをしている人に言いたいのは、自分に火の粉が降りかかるのが怖いのはよく分かるけれど、大切な命が失われる事の重さ、そしてそれを引きずる自分の気持ちの重さを考え、せめて誰かに”見聞きしたこと”を伝えて欲しい。

今年もまた、7月2日を迎えました。16歳だったT君を偲び、自分を責める日です。