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MASA日記

働き方、お金のこと、趣味のこと、ニュースなど、徒然なるままに書いています

今日は何の日?~6月25日((旧)らいの日)編~

6月25日土曜日の朝、関東は重い雲に覆われております。

 

さて、今日は「らいの日」だそうです。らい病に深い関心をお持ちだった大正天皇の后のお誕生日に因んだそうですが、1964年からは「ハンセン病を正しく理解する週間」に移行したそうなので、現在では「らいの日」という日は無いそうです。

 

それでも、あえて「(旧)らいの日」を取り上げてみました。

まず、「らい病」は現在では「ハンセン病」と呼ばれ、抗酸菌の一種であるらい菌の皮膚のマクロファージ内寄生および末梢神経細胞内寄生によって引き起こされる感染症のことを言います。経鼻・経気道による感染が主ながら、感染力の弱さと、治療法確立により、現在では極めて稀な病気になっているそうです。わたしは医学関係者では無く、疾病に対する詳細は分かりませんので、ご容赦ください。

 

さて、最近では「らい病」と聞いてもピンと来ませんね。それくらい「ハンセン病」という言葉が定着していますが、「らい病」という言葉は、差別的な印象を与えかねないために使われなくなっています。

かつて医学的な解明が進んでいない中で、「らい病」は感染する不治の病と恐れられ、また症状に伴う外見からも、差別的な扱いを受けてきた歴史があるそうです。まさに”誤解”でしかなかったのですが、そうしたマイナスの印象を持つ言葉であることから、「ハンセン病」という名前に移行した経緯があります。

 

「らい病」と聞いて、わたしは高校時代の教師に聞いた話を思い出しました。

皆さんご存知だと思いますが、四国八十八か所巡りをする人を「お遍路さん」と言います。白い装束を纏い、菅笠を目深に被り、ひたすら人里離れた寺を巡ります。現在では、弘法大師縁のお寺を訪ね歩く信仰の一つとして、団体バスツアーが組まれたり、レンタカーで数人で巡るというスタイルもが一般的です。

ただ、そこにはかつて、暗い歴史があったと言うのです。「らい病」が差別的な扱いを受けてきたことは既述のとおりで、それゆえに家族に患者がいると、存在を隠すために家を追われたそうです。その行先こそ、四国八十八か所。辺境の土地を歩く意味で、「遍路」の語源は「辺土」であり、さらに「辺土」の語源が「偏土」であったとも。白装束を着て歩くのは、もはや家族の下に戻れない患者が、いつ天に召されても良いように死に装束として白装束を纏っているのであり、目深な菅笠は「らい病」の外見を見せぬため、辺境の土地を歩く八十八か所巡りを選んだのは人に接すると感染するという差別を意識したため。こうして家を追われた患者は、いつしか(土に)倒れ、そして生涯を閉じるということから「偏土」、その変化で「辺土」、やがて信仰の意味合いのみ(あるいは差別的な印象を払拭すべく)「遍路」になった、というのです。

 

仮にそうだとすれば、かつての”誤解”に基づく差別がどれほど酷かったのか、いつしか息絶えて倒れた「偏土」の患者の方々の想いは如何ばかりだったでしょうか。

 

現在では「らい病」が日本では稀な病気となりましたが、”誤解”に基づく差別は今も色んな形で残っています。こうした不幸な歴史が繰り返されないことを願います。

 

 

※なお、「偏土」に関する話は一説であり、またわたし自身も伝聞したものです。正確性についてはご容赦ください。また、現在の四国八十八か所は、あくまで信仰心に基づく巡礼であり、差別的な意味合いはまったく無いことも申し添えます。