歌謡曲93 上手い人多いなぁ④

7月7日 火曜日 歌謡曲93

 

こんばんは。

 

ここ2回は「隠れファン」を投稿したため、久々の「上手い人多いなぁ」です。熊本県和歌山県大阪府に続き、今回は岩手県です。

 

日本で2番目の広さを持つ岩手県からは、個性派歌手が多く誕生しています。

 

まず1人目は、一世を風靡した演歌歌手、千昌夫さんです。

わたしの子どもの頃は北国の春が流行っていました。東北訛りを隠さず歌うのが妙に気に入って「白樺 青空 南風♪」と真似していました。その後も津軽平野などのヒットを飛ばしながら、借金スキャンダルもあるなど、色々”不思議なおじさんだなぁ”と子ども心に思っていたのでした。東日本大震災以降、再びテレビの露出回数も増えてきましたね。「頑張っぺしぃ」連呼していました。

 

そんな千昌夫さんとは対照的に、実に地味な存在の新沼謙治さんも岩手県ご出身です。

「おもいで岬」「嫁に来ないか」などのヒット曲がありますが、わたしのお気に入りは津軽恋女」です。この曲、簡単に歌っているように聞こえて、カラオケで歌ってみると結構難しいです。サビの部分で平音が続いたり、リズムを取りづらかったり。

そして初めて、この人上手いんだなぁ、と気づきました。

 

今までの熊本県和歌山県が女性演歌歌手と親和性があったのに対し、岩手県男性演歌歌手に親和性があるのでしょうか。若手と言っても下積みが長かったようですが、民謡出身の福田こうへいさんもまた、岩手県雫石町のご出身です。

派手さは無いですが、「南部蝉しぐれに始まり、小刻みに売れています。2018年に大量吐血したと報道されたときは心配しましたが、現在ではすっかり回復しました。

 

個性派という意味では、宇多田ヒカルさんの母でもあり、「女のブルース」「圭子の夢は夜ひらく」「命預けます」など、ハスキーボイスと、独特な雰囲気で人気を博した藤圭子さんも一関市出身でした。62歳という若さで、飛び降り自殺によって自ら命を絶ったことが残念ですが、存在感のある歌手だったと思います。

 

演歌を離れれば、大瀧詠一さんも岩手県奥州市のご出身です。

夢で逢えたら」「君は天然色」「恋するカレン」などのヒットもありますが、わたしは提供曲「さらばシベリア鉄道の作者として存在を知りました。後にご自身の「幸せな結末」も大ヒットし、遡ってヒット曲を知っていった感じです。

大瀧詠一さんも65歳という若さで急死されました。まだまだヒットメーカーとして活躍されると思っていただけに、残念ですね。

 

今夜の「上手い人多いなぁ」は 岩手県をご紹介しました。

歌謡曲92 上手い人多いなぁ③

7月6日 月曜日 歌謡曲92

 

こんばんは。

 

事前告知を忘れておりました、申し訳ありません。

木曜日テーマの一つ「歌謡曲」が通算91回を数え、通算100回まで残り9回となりました。通算205回の「気になるニュース」、約170回の「乗り物」「マニアな小ネタの世界」に次ぐ長寿テーマであり、何度か定期テーマ離脱を経ながら、大台が見えてきました。他テーマ同様、大台突破を後押しすべく、纏め投稿したいと思います。具体的には、今後3週・各週3回(曜日不定)で合計9回追加する予定です。

 

今夜は「上手い人多いなぁ」の3回目を投稿します。

 

子どもの頃、「森とんかつ 泉にんにく♪」とふざけて歌った記憶がありますが、元歌はご存知、ジャッキー吉川とブルー・コメッツの大ヒット曲「ブルー・シャトウ」です。メインボーカルの井上大輔(旧芸名 井上忠夫)さんは2000年に自殺しましたが、その後は、ギター担当の三原綱木さんが中心に立って歌うことが多くなりました。この三原綱木さんの名前は、出生地である綱木村(村名は「つなむら」と読むそうです)由来するそうですが、この綱木村(現 阿賀町)のある新潟県が、「上手い人多いなぁ」と感じる第3都道府県目です。

 

男性歌手で言えば、伊藤敏博さんが直江津市(現 上越市)ご出身です。あまりメジャーではないかもしれませんが、旧国鉄車掌だった歌手と言えば、”ああ、いたね!”と思い出される方もいるのではないでしょうか。一躍その名を有名にした「サヨナラ模様」70万枚を売り上げるヒットとなり、ヤマハポピュラーソングコンテストグランプリを受賞(1981年)しました。わたしは「誘われて二人旅」のオープニングで使われた「風色ロマンス」の方が好きでしたが、さすがは鉄道マンだけあり、旅の情景が目に浮かぶような曲に惹かれました。発声には特徴があるものの、歌い方はクセは無く素直で、とても聴きやすい上手な歌手だと思っています。

 

演歌界では、小林幸子さんが新潟市出身です。

NHK紅白歌合戦衣装(わたしには装置に見えましたが)ばかり話題になりますが、1964(昭和39)年「ウソツキ鷗」でデビューして芸能生活56年という大ベテランです。それを感じさせない気さくさもあり、随所で芸達者ぶりも見られます。

わたしが初めて小林幸子さんを認識したのが「おもいで酒」でしたが、その前は長い不遇の時代もあったと聞きます。「とまり木」「もしかして」「もしかしてPartⅡ」等ヒット曲が続き、”上手だなぁ”と感じたのは「雪椿」でした。やはりこうした曲は、しっとり聴きたいもの、衣装で気が散るより、歌で聴かせて欲しいと個人的には思っています。一時期ファルセットが多かったですが、最近見ると、どの曲もかつての歌い方に戻っており、改めて「第二のひばり」と称された歌唱力を実感します。

 

そして新潟県が生んだ稀代の歌手と言えば、三波春夫さん(故人)でしょう。

華やか笑顔が印象的なおじさん、子どもの頃のわたしの印象でしたが、大人になって聴けば聴くほど、本当に上手だと思います。「チャンチキおけさ」「月が侘しい♪」一節だけ取っても、物凄く難しい節回しを難なく歌いこなしています。

そして浪曲でもある三波春夫さんの最高傑作だと思うのは、紅白歌合戦でも披露された「元禄名槍譜 俵星玄蕃です。とても長い曲(作品)なのですが、一つの演劇作品を見ているようで、コレを演じ、歌い上げられる方は他にいないでしょう。その展開に見入ってしまいます。本当に上手だと思います。

 

「上手い人多いなぁ」第3都道府県目は、新潟県です。明日は第4都道府県目です。

今日は何の日?~7月5日編~

7月5日 日曜日 今日は何の日?

 

おはようございます。

 

7月5日 = 穴子の日

です。日本記念日協会によると、ハンワフーズ㈱が制定した記念日で、「7(な)月5(ご)日」の語呂合わせです。

 

アナゴ、美味しいですよね!寿司でもよく注文しますし、アナゴ天丼なども食べます。広島県勤務時代は、宮島アナゴ飯も食べに行きました。ウナギに似ていますが、アナゴの方があっさりした味だと感じます。実際、栄養価を見ると、カロリー・脂質・糖質でウナギよりも少なく、ミネラルではウナギよりも高くなっています。脂質や糖質を制限したい、でもウナギを食べたいという場合は、アナゴを食べると良いのでしょう。

 

それにしても、最初にこの生き物を見つけて”食べてみよう”と思った人がいるのが凄いですね。ある程度、魚は食べられるという経験値があったにせよ、イカ、タコにせよ、うなぎやアナゴにせよ、見た目がグロテスクで、もしわたしが最初の発見者ならば、間違いなくリリースすると思います。しかし、勇気好奇心を持って食べようとした先人がいたおかげで、こうして美味しいアナゴを食べられるのですから、感謝ですね。

 

とかく似た者扱いされるウナギとアナゴですが、ウナギは西捌き方が異なります。調べてみると、アナゴもウナギ同様に扱われるため、捌く際は同じように東西で違うようですね。東日本では武士に由来し、腹を開く=切腹として縁起が悪いために背開きに、西日本では商人に由来し、腹を割って話すため腹開きになったと言われます。

コレが事実かどうかは分かりませんが、どちらで開いても、出てきたときに美味しければ良いというのがわたしの結論で、夏場の体力をつける意味でも、美味しいアナゴを食べたいですね。今日は「アナゴの日」でした。

気になるニュース 6月27日~7月3日

7月4日 土曜日 気になるニュース

 

おはようございます。

 

昨日は「マニアな小ネタの世界」の新シリーズ「今昔モノ語」を書きましたが、25年近い時間は、大きく変えるには十分な時間なのかもしれません。考えてみれば四半世紀なわけで、かえって変わらずにあり続けることの方が難しいのか、とも思います。

 

■ 「ここまできた…『コアラのマーチ』」(FNNプライムオンライン 2020年6月28日)

コアラのマーチと言えば、1984(昭和59)年発売から36年、干支3回りを経ている、ロッテを代表するお菓子の一つです。

昔は「まゆげコアラ」が入っているとラッキーだと言われましたっけ。

そんな様々なコアラの絵柄を楽しみに食べると、1箱あっという間に食べ終えてしまうのですが、昔は楽器を持った12種類のコアラたちからスタートしました。今やその種類は365種類以上もあるそうで、最近ではVRコアラ」なる絵柄も登場するなど、お菓子の基本は変わらず、コアラの絵柄を最新化することで時代に適応しているのですね。

VRコアラ」は「VR」と書いてくれているので分かりますが、何も書いていなければ「アイマスク?」と思ってしまいそうです。でもこのベタさ加減もいいですね。

それにしても「VRコアラ」はいいと思えるのに、同じロッテのビックリマンで「VRアンドロココ」を見て”余計なことすんじゃねぇ!”と思ってしまう自分が不思議です。

 

■ 「『給付金が入ったので』子どもの頃からの夢を」(まいどなニュース 2020年6月30日)

わたしの子どもの頃のと言えば、”(当時の)ビックリマンを箱買いしたい!”でした。1人2個限定という縛られた中で引き当てるヘッドのになりながらも、自由に買える環境になればいいのに、と何度思ったことでしょうか。

わたしの夢はもはや叶いませんが(今のビックリマンは箱買いしたくないですから)、支給された特別給付金で、幼い頃からの夢を叶えた方がいるそうです。

この方の夢は、あっという間に飲み干してしまう”ヤクルトをジョッキ飲みしたい!”というものでした。大人買いされたヤクルト15個が、惜しげもなくジョッキに注がれます。そしていよいよ・・・長年の夢が叶う瞬間は、きっと至福の時だったことでしょう。

しかし、途中で「もう十分」、最後には「二度とやらない」気持ちになったそうです。

味が濃く、時間の経過とともに吐きそうになり、激しい満腹感に襲われたと言います。

ヤクルト社によれば、商品記載のとおり、1日の摂取目安は1本であり、酸味を紛らせるために糖分も多めにしているとのこと。さらに腸内が活性化されすぎて腹痛を起こすこともあるそうですから、やはり適量を摂取するのが良さそうです。

そう言えば、亡くなった清水由貴子さん出演のCMでも「毎日1本お腹に1本ヤクルト♪」と言ってましたね。わたしは雪印のローリーエースファンでした。

 

■ 「孤立した湖や池に魚はどうやって移動する?」(NEWSWEEK 2020年7月2日)

子どもの頭の中は、”ヤクルトをジョッキ飲みしたい!”という無謀な夢があるかと思えば、”川はどうきるのだろう””最初に川に橋を架けるときどう作ったのだろう””言語の違うヒト同士がどうやって会話したのだろう”と、とてつもなくアカデミックなことを考えてみたりもするものです。テレビ東京池の水ぜんぶ抜くなどは、比較的それに近いことをリアルに実践してくれていて、興味深いです。

さて、川とも繋がっていない孤立したにもが生息しますが、”どこから来たのだろう?”と疑問に思ったことは無いでしょうか?

わたしは子どもの頃、にスコップでを掘り、池を作って観察したことがありますが、当然ながら魚が棲むことはありませんでした。実験失敗です。しかし、この疑問に一つの答えが与えられました。ハンガリー・ドナウ研究所生態学研究センターの発表によると、「動物被食散布」によるものだとされました。つまりは、鳥獣に食べられ、として排出されることで種子が運ばれるのです。

マガモを使った実験では、摂取されて排出されたコイやギベリオブナののうち、生き残ったのは僅か0.2%に過ぎないそうですが、産卵される卵の数の多さと、カモの個体数の多さを考えれば、孤立した池や湖に魚を繁殖させることができると言います。

わたしの長年の疑問が一つ、答えを見た気がしました。

 

■ 「海の底にある『失われた大陸』」(BUSINESS INSIDER JAPAN 2020年6月28日)

南太平洋の波の下、約1000メートルのところに、失われた8番目の大陸が眠っている、その名は「ジーランディア」―まるでRPGの始まりに浮かび上がる文字のような話ですが、コレは現実世界の話です。ジーランディアは、ニュージーランド周辺の海域に存在し、大陸としての要件を満たすことは2017年に確認されていました。

しかしその詳細までは、明らかにされていませんでした。

6月22日、ニュージーランドGNSサイエンスの研究者は、WEB上に地図を公開し、これまでには無いほど詳細なジーランディア形状大きさを示したのです。

広さ約500万㎢オーストラリア大陸のおよそ半分に相当するそうです。

現在、海面から出ているのはわずか6%ほどで、ニュージーランドの北島・南島と、ニューカレドニアの島々のみ、その他は海に沈んでいます。

海底から隆起して地上に姿を現した場所も世界にはある中、ジーランディア約3,000万~5,000万年前に海の底へと沈んで行ったと言います。なんとも壮大な話ですが、とても興味深い話ですね。失われた大陸・ジーランディア、今後の研究に期待です。

 

首都圏は再び感染者数が急増しています。

電車に乗っても、以前に近い満員電車になりつつあります。暑くて息苦しくてもマスクは欠かせませんし、咳・くしゃみエチケット、うがい・手洗いで自衛しようと思います。ミズノ社のマウスカバーの抽選、外れてしまいました。残念でした。

以上、今週の「気になるニュース」でした。

マニア161 今昔モノ語vol1~写真~

7月3日 金曜日 マニアな小ネタの世界161

 

こんばんは。

 

「マニアな小ネタの世界」として久々の新シリーズ「今昔モノ語」です。

コロナ禍の自粛生活で、家の中を整理する時間があり、様々なのモノを見つけました。そんな昔のモノをご紹介するのですが、第1回目はありきたりな「写真」です。しかも故郷の徳島の写真ですので、ローカルネタになってしまいますがお許しください。

※本文中でいくつかYoutubeの動画リンクを貼っております。動画は、このブログの読者にもなってくださっているshigeさんが撮影され、Youtubeにアップされているもので、ご厚意により動画の貼付許可をいただきました。shigeさんありがとうございます!認知度・魅力度が低いとされる徳島県の中から、現地を訪れ、地元の良さを発信し続けておられます。皆さんも是非shigeさんのブログやYoutubeをご覧ください。

 

1 徳島駅前 

まずは、徳島市の顔である徳島駅です。

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左はネット上の拾い画像ですが、わたしが中学生頃までは、このような風景でした。右は2015(平成27)年11月にホテルサンルート徳島の客室から自分で撮影しました。

角度こそ違いますが、ほぼ同じ場所を撮影しています。

タクシープールワシントンヤシバスプール徳島市営バス=銀色・徳島バス=黄色)の並びは、ほぼ変わっていません。バスで変わったことと言えば、①経営難に陥った徳島市営バスの多くの路線を徳島バス運行委託していること、②徳島バスの塗装が黄色から白色になったこと、③小松島市営バスの乗入が無くなったことでしょうか。

建物は大きく変わりました。まずは正面に写る駅ビル。1992(平成4)年に完成した4代目となる現在の駅ビルは、商業施設とホテルも一体化しており、随分と立派です。正直、人口25万人徳島市、しかも日本で唯一1m電化されていない徳島県の駅には過剰な気がします。交通系ICカードのタッチどころか、切符を通す改札機も無く、いまだに有人で対応しているというレトロ感には、一緒に訪れた知人も驚いていました。

写っていない右手にはダイワロイネットホテル徳島が建設され、手前に高速バス乗り場も整備されましたが、昔は南海ショッピングプラザ(→とくしまCITY)がありました。明らかにホテル客室数が過剰だと思うのですが・・・どうするんでしょう。

ちなみにワシントンヤシは徳島駅前から元町新町橋方面へと続いています。1953(昭和28)年に植えられて既に65年以上徳島市として親しまれています。

<shigeさんのYoutube動画 徳島駅東新町周辺散歩!>

 

2 祖谷のかずら橋・大歩危

続いては、県西部の祖谷かずら橋です。

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左は1980(昭和55)年に父が撮影したもの、右は拾い画像ですが、3年ごとに架け替えているものの、基本は変わりません。日本三大秘境とも言われる西祖谷山村(にしいややまそん)の渓谷にかけられた橋です。平家落人伝説が残る地であり、追っ手を逃れるため、切り落とせるようにかずらで橋を作ったと言われています。

わたしはココが大嫌いです。高所恐怖症なので、この隙間を見るのが怖いんです。

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さらに国道32号線を西進した大歩危(おおぼけ)の当時の写真です。大歩危の地名の由来は諸説ありますが、「大股で歩くと危険」という意味に因る、あるいは「崩壊(ほけ)」という古語の変形ともされ、いずれにせよ岩が多く難所であることに因ります。

この大歩危は、「ゲゲゲの鬼太郎」でも登場する有名な妖怪こなきじじいの生息地でもあります。こなきじじいの石碑や妖怪屋敷などでPRもしています。

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まだ国鉄時代なので、旧国鉄塗装キハの車両が現役で走っていますね。

変化と言えば、かつては三好郡だったこの一帯が三好市という市に組み込まれたこと。秘境なので郡の方が似つかわしい気もしますが、仕方ないですね。かつて高校野球で名を馳せた池田高校も、この近くにあります。

<shigeさんのYoutube動画 徳島県祖谷のかずら橋周辺を歩いて散歩>

<shigeさんのYoutube動画 ソロモン秘宝が眠る?徳島県剣山近くの【大歩危】の周辺を歩いて散歩> 

 

3 大鳴門橋

続いては、徳島県の県北、京阪神方面からの玄関口である大鳴門橋です。

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左は1983(昭和58)年に父が撮影したもの、右はネットの拾い画像で現在の様子です。

当時、既に主塔完成していますが、肝心のが見られません。大鳴門橋がどのように建設されたかが分かります。下に貼ったのは、同じ時に(おそらく鳴門公園?)撮影された看板ですが、完成予定が「昭和58年」と書かれています。実際の完成の1985(昭和60)年までさらに2年を要していますので、工期遅れがあったのでしょうか。

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そして看板にはもう一つ、「道路鉄道併用橋」の文字もあります。明石海峡大橋の完成で”夢”が絶たれる前、神戸から徳島に鉄道が乗り入れる計画頓挫していなかった時代であったことが分かります。大鳴門橋は道路(上)、鉄道(下)の二層構造から成りますが、淡路島と神戸を結ぶ明石海峡大橋が道路一層構造となり、神戸~徳島の鉄道はとなりました。もし鉄道が開通していたならば、現在の高速バス全盛は無く、当時経営難だった徳島バス破綻していたかもしれません。現在、大鳴門橋の鉄道用スペースは「渦の道」として整備されています。サイクリングロードを作る話も出ています。

淡路島を経由し、神戸と徳島を結ぶ国道28号線という道があります。2つの橋ができるまでは、海上部分途切れていました。当時、須磨港(神戸市)~大磯港淡路市)、亀浦港(鳴門市)~阿那賀港南あわじ市)の2区間淡路フェリーボート24時間運航海上国道としての役割を果たしていました。”浪花のモーツァルトことキダ・タロー氏作曲「海のハイウェイ 淡路フェリー」というラジオCMソングが懐かしいです。

 

4 マリンピア沖洲 

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写真は1997(平成9)年撮影です。

陸の玄関口大鳴門橋ならば、コチラはの玄関口の一つ、マリンピア沖洲(おきのす)です。1994(平成6)年沖洲マリンターミナルが完成し、関西国際空港との間に高速船が発着していました。ほぼ直線で結ぶので、所要時間も短かったのですが、現在は高速船は廃止されています。実はわたしは、大学時代などにこの高速船を使っていたのですが、廃止される理由は一度乗れば分かりました。揺れが酷いんです。狭い紀伊水道は流れも速いのですが、その紀伊水道の流れに垂直に、しかも高速横切るわけですから、乗り心地が良いはずありません。案の定、船の甲板お手洗いには、手土産もそっちのけで並ぶ人の列が絶えず・・・と、お食事前後の方が多いと思いますので、これ以上の踏み込んだ記述は控えます。ご想像ください(いや、想像しないでください)

そして2002(平成14)年南海フェリーによる和歌山港便が無くなったことで、海上ターミナルとしての機能を失うこととなりました。短命でしたね。

 

5 その他

最後は徳島市の写真をいくつか。

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1980(昭和55)年に、徳島市金沢町から市内中心部方面を写したものです。奥に見えるのは、徳島市のシンボル・眉山です。夕暮れ時セピアカラーの写真、岩崎宏美さんの「家路」か、金曜ロードショーのオープニングが流れてきそうな物悲しい風景です。金沢町は吉野川の河口に近く、土手から釣りをすると、海の魚が結構釣れます。f:id:Masa_S:20200624155734j:plain

そしてコチラは1980(昭和55)年頃のとくしま動物園です。現在は渋野町という場所に移りましたが、わたしが徳島を離れたときはまだ、中徳島町二丁目にありました。現在の城東高校近くであり、かなり市の中心部です。市の中心部に動物園、便利な反面、近隣住民の方には迷惑だったかもしれません。そして現在地に移転したのが1998(平成10)年ですが、おそらく現在も跡地の有効利用の目途が立っていない気がします。コンサートホールを作ると聞いた気がしますが、できたのを知りません。

 

最後に、ネットで見つけた東新町眉山ロープウェイの画像です。

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東新町アーケード入口にはかつて、地元の丸新百貨店がありました。「丸新に買い物に行く」と聞くと、子どもながらに少しオシャレしなければならないような軽い緊張感がありました。その丸新百貨店は、信号2つ先の駅前にそごうができたことで客足が遠のき、閉店となったのでした。現在、丸新百貨店跡地には、昔で言うところの第一地銀である阿波銀行が本店を構えています。それにしても、丸新百貨店を閉店へと追い込んだそごうが、今年は閉店し、ついに百貨店ゼロの県になってしまいます。フジグラン、ゆめタウン、イオンとあれば事は足りると思いますし、それこそ京阪神に日帰りできますからね。時代の流れを感じずにはいられません。

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白黒なのでかなり古そうですが、わたしが知る当時もほぼこのままでした。

おそらくは新町橋二丁目交差点の歩道橋から撮影したと思われますが、正面の建物は現在、阿波踊り会館に建替えられています。その左側には、地元では有名な田岡病院の文字が見えます。田岡病院は現在、かつての徳島サティ跡地(万代町)に移転し、より大きな病院として生まれ変わっています。

<shigeさんのYoutube動画 徳島市眉山頂上周辺を歩き散歩>

 

10年ひと昔と言いますが、徳島を離れて25年程のわたしがかつて見てきた風景も、今ではすっかり変わってしまいました。こうして見ると、懐かしいだけでなく、面白いものだと感じました。今では誰もが動画を撮影し、記録として発信できる時代です。今回動画をご提供いただいたshigeさんは、県内各地の動画を撮影され、発信されていますが、きっと今後25年で、さらに変化が生じることでしょう。

また25年後に、見比べてみると面白いでしょうね。

歌謡曲91 隠れファン2~********~

7月2日 木曜日 歌謡曲91

 

こんばんは。

 

前回は、1993年に登場し、いきなりミリオンセールスを記録してブームとなったDEENを取り上げました。今夜は6年後の1999年オリコンシングルランキングを見ます。

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懐かしいですね、だんご3兄弟290万枚を超える大ヒットとなった他、世の中の暗さなのか、それともヒーリングを求めてか、坂本龍一さんの「ウラBTTB」も流行りました。しかし1993年に比べれば顔ぶれの多様性が無く、GLAY宇多田ヒカル浜崎あゆみ、L'Arc~en~Ciel、Kinki Kidsなど、特定の歌手に人気が偏っている印象です(敬称略)。

 

そんな中で、実はわたしが密かに応援していたのはSomething Elseです。

千葉県柏市ストリートミュージシャンだった彼らを一躍有名にしたのは、日本テレビで放送されていた雷波少年の企画でした。”3人で1部屋に住んで曲を制作、次のシングルとしてリリースし、オリコン初登場20位以内に入らなければ解散、音楽業界以外に転職する”という企画でした。わたしは”~しなければ××する”という企画が嫌いなのですが、曲のタイトルのとおりラストチャンスをモノにした彼らは、初登場第2位を獲得すると、この曲は最終的にミリオンセールス一歩手前の売上となり、その年の紅白歌合戦にも出場するなど、大きくブレーク予感させたのでした。

しかし今、Something Elseの名前を出しても、若い世代は知らないでしょうし、我々世代も”そう言えばいたね!”という過去の人扱いのはずです。それも仕方ないことで、2006(平成18)年10月をもって解散しており、現在は個別に活動しています。

 

わたしはこの素朴な感じの彼らと、アコースティックギターの奏でる心地良い曲が好きで、密かに応援していたのですが、最大のヒットである「ラストチャンス」より、2000年に発売された通算9枚目シングル「ウソツキ」が大好きで、今でも聴いています。

静かでゆっくりしたBメロからサビへの入り方が好きなんです。サビ「君をさがしてた」も抑制的に下がる1番に対し、最後の繰り返しでは感情を爆発させるように上がっていくんですよね。極めてオーソドックスな構成に思いますが、聴きやすいです。

この曲が思ったほど売れなかったのは残念ですが、実は隠れファンなのでした。

日本列島マンホールカードの旅11 徳島県松茂町

7月2日 木曜日 日本列島マンホールカードの旅11

 

こんばんは。

 

今夜の「日本列島マンホールカードの旅」は、徳島県板野郡松茂町です。

松茂町について、徳島県出身者であるわたし個人の感想を言えば、徳島県にしては”賑やかで、洗練された町に「なった」と思います。その理由は、松茂町のマンホールカードの説明にある一文「交通の要衝」という一点に凝縮されています。もう少し言えば、の要衝であるということですね。

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まず、徳島県の空の玄関口「徳島空港」は、全国でも少ない、自衛隊と民間の民共用空港です。徳島は日本初定期航空路開設の地でもあり、国産旅客機YS-11が定期路線として初めて就航したのも東京ー徳島でした。わたしが住んでいた頃、徳島空港はほぼJAS日本エアシステム)で占められていましたが、現在はJASを統合したJAL日本航空)とANA全日本空輸)ともに乗入れています。2010(平成22)年には、沖合に少し拡張した新旅客ターミナルも完成し、整備されました。この「徳島空港」の所在地が松茂町です。つまり、徳島の空の要衝なのです。

 

しかし、「徳島空港」以上に、松茂町を発展させたのは国道11号線だと思います。

番号の若さからも分かるとおり、四国の大動脈であるこの国道は、徳島県庁そばのかちどき橋交差点を起点に、県北の鳴門市香川県高松市を経て愛媛県松山市を結びます。

わたしが冒頭で賑やかに「なった」と書いたのは、昔はさほどそう感じなかったからです。と言うのも、現在の国道11号線カタチが見えたのは1986(昭和61)年暫定供用から完全供用に至ったのは1996(平成8)年です。わたしは完全供用前に徳島を離れていますから、暫定供用前から今に至る変化を見ると、随分と発展したと感じるのです。

 

現在過去国道11号線を示した地図を見つけましたので、少し加筆し貼付します。

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 ①北常三島交差点付近     ②築90年超の吉野川橋     ③加賀須野大橋北、松茂町広島付近

古くからの地元民で、青線で描かれた昔の国道11号線「旧道」、赤線で描かれた現在の国道11号線「バイパス」と呼ぶ人がいます。便宜上、その呼び分けを使います。

かちどき橋北常三島交差点(①)までは変更無しですが、ココで旧道は左に曲がり、吉野本町交差点で右折すると、トラス橋が歴史を感じさせる吉野川(②)を北上、板野郡に入ります。北島町松茂町を経由して鳴門市に向かうのですが、旧道とバイパスが交差(実際には立体交差)するのが松茂町広島付近(③)です。

わたしが子どもの頃のバイパスは、現在のような6車線(片側3車線)でも無く、道路脇も寂しく、加賀須野大橋を超えたところ(③)で旧道へと降りていました。それが撫養町木津の交差点、さらに北へと徐々に延長され、今では道路脇に郊外型店舗も並び、神戸淡路鳴門自動車道高松自動車道(ともに鳴門IC)、徳島自動車道(川内IC)との接続も完了したことで、徳島県には欠かせない主要道路へと発展したのです。

その賑わい(他都道府県の方に言うのは気が引ける程度の賑わいですが)は、徳島市から松茂町付近まで続き、加賀須野大橋を過ぎたあたりから、が広がってきます。松茂町が県内ではかなり洗練された町に「なった」と感じるのは、このためです。

バイパスが国道11号線に指定されたことで、旧道は国道11号の指定を解除されます。旧道と呼ぶものの、現在では国道11号線ではなく、北常三島町(①)から北島町中村までは降格して県道39号線の一部となり、松茂町広島以北は国道28号線となりました。

国道11号線がバイパスに移ったのに合わせ、旧道時代から県内ほぼ全線で重複していた国道28号線もバイパスへとルートを移しました。しかし、バイパスは鳴門市内の内陸を北上するルートとなり、淡路・神戸方面に向かう国道28号線は松茂町・広島付近で重複関係を解消し、旧道を辿ることになったため、松茂町以北の旧道は国道28号線として残りました。

 

交通の便の良さは、町の発展に大きく寄与するのは常で、空港アクセス道路に近いバイパス沿いには、高速バスが必ず経由する徳島とくとくターミナル(「ケンチョピア」といい、ネーミングセンスはどうにかならんもんかなぁ・・・と思いますが)も完成するなど、「交通の要衝」としての魅力をさらに増しているのです。

 

 

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改めて位置を確認します。北に鳴門市、南に徳島市と接する松茂町は、板野郡の一部です。板野郡は西から順に、上板町・板野町藍住町北島町松茂町という5つの町で構成されますが、特に東の3町(藍住町北島町松茂町)はベッドタウンとして人口が増加しており、現在の板野郡の人口は約97,000人阿南市(約78,000人)や鳴門市(約60,000人)よりも多い人口を擁します。中四国地方でも、広島県安芸郡に次いで、郡としての人口は2番目に多いとされ、近い将来10万人を超えると見込まれています。

 

町名こそ松の茂った場所に由来しますが、今ではすっかり賑やかになった、今夜は徳島県松茂町とマンホールカードをご紹介しました。